1991 年 42 巻 3 号 p. 293-306,327
シュッツとパーソンズはともに「社会学の基礎概念」を重視していたが、この論文においては、「理解社会学の若干の範疇」において見られた「客観的可能性の範疇」への言及が削除されている。この範疇についてウェーバーが語る時は因果連関を構成する主体が前提されており、この場合その行為が研究者の観察対象とされる行為者自身の立場と研究者の立場は原則的には分けられていた。その上でその行為を引き起こした原因としての動機に、研究者がいかに妥当性をもって接近できるかが考えられていたのである。そしてウェーバーは、この範疇は、間接的にではあるがフッサールやラスクの諸論稿と関係があると述べている。すなわちウェーバーにとって現象学は、彼が研究者の立場と行為者の立場とを分ける根拠を提供していたといえる。シュッツもパーソンズもともに、ウェーバーと現象学との直接的な関係を前提してはいなかったが、シュッツはウェーバーが行為者と研究者の立場を分けていないことを批判し、パーソンズは肯定していた。もしも二人が「理解」論文にもっと注目し、ウェーバーと現象学との関係を前提していたならば、両者の往復書簡はもっと有益な結果を生んでいたのではないだろうか。