1996 年 47 巻 3 号 p. 335-349
今日「差別や偏見は正しいことですか」と尋ねられて, 肯定的な答をする人はむしろ少数であるにもかかわらず, 身体や精神に障害を持つ人に対する偏見は相変わらず根強く残存しているように思われる。これまで多くの議論が, 社会的な場面におけるこれら差別や偏見を, 相互作用の断絶という文脈で語ってきた。しかし, 「排除」は必ずしもその直接的な形をとってのみあらわれるとは限らない。
本論稿で問題とするのは社会的相互作用が拒絶される形で現出する差別・偏見ではない。一見社会的相互作用が維持されている場面のなかに〈方法〉として維持されている「排除する-される」という関係である。それは「私的局域の侵害」「現実構築作業への参加拒否」「主体的人間像の否定」という形で現れてくる。以下, 前提となる議論を若干試みた後, それぞれの「排除」について議論を行う。