社会学評論
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ラフカディオ・ハーン研究言説における「西洋」「日本」「辺境」の表象とナショナリティ
福間 良明
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2002 年 53 巻 3 号 p. 329-347

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抄録

本稿では, 戦前の小泉八雲研究=「ハーン学」の言説における「西洋」「日本」「辺境」の表象を分析し, 「西洋」「日本」「辺境」が交錯する場で紡がれるナショナリティを浮き彫りにする.
1900年代の「ハーン学」では, 「日本」は, 「西洋」のような普遍性を希求しつつもそれが欠如したものとして認識されていたが, 次第に「西洋」に比した特殊性が強調されるようになり (1910~20年代), さらには「西洋」に代わる別の普遍性を「西洋」に向けて呈示することが志向されるようになった (1930~40年代).だが, 同時に, そのような中で, その自己像を正当化すベく, 「日本」は, 「辺境」を排除/包摂の対象として描き, また流用していった.そこでは一方で, 「西洋」からの視線, オリエンタリズムが受容され, 内面化され, つねに「西洋」に呈示されるべき自己像が意識されつつ, 他方で, そのような自己表象を成立させるために, 「辺境」の表象, 「辺境」による逆照射が不可欠だった.
だが, 「日本」は「西洋」と「辺境」とに向き合う中で生産/再生産され, 強化されるだけでなく, その三者の交錯の中でナショナリティがゆらぐ契機もあった.本稿では, ハーン学言説の分析を通して, 「西洋」「辺境」という2つの他者との交渉でナショナリティが構築され, また同時にゆらぎ, その決定されざる残余が浮き彫りにされる様相を提示する.

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