2005 年 55 巻 4 号 p. 483-498
本稿の目的は, 1920年代後半の日本社会における街路照明の問題化という事例の検討をつうじて, 街路空間における照明の管理化という技術=政策上のプログラムが, いかなる歴史的・社会的条件のもとで成立したのか, そしてまた, それがどのように実践的に展開された (されなかった) のかを明らかにすることである.技術の社会構築主義的な観点のもとに, 科学的知, 都市政策, 事業者や一般市民を代表する各種領域の言説をたどることで, 以下の3つのテーゼが導かれることになる.第1に, 照明の社会的な管理化は, 銀座のガス灯など, 近代的な照明装置の導入を起点として直線的に展開していったプロセスではなく, それじたいが, 1920年代後半にはじめて対象化され問題化されたプログラムであるということ.第2に, 照明の規格化や標準化は, 個人や私的団体に所有される多種多様な形態の照明装置を抑えこみ, 馴致するようなしかたで目論まれたということ.そして第3に, こうしたプログラムが言説的に形成され, 実践的に展開される過程には, 利害を異にする複数の主体がかかわっており, しばしば意図せざる結果や効果が生みだされてきたということである.