社会学評論
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東アジアのグローバル化
エスニシティとナショナリズムの交錯
佐々木 衛
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2005 年 56 巻 2 号 p. 347-362

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抄録

本論の目的は, 東北アジア地域がグローバル化のもとで公共空間として成熟するための条件を, 中国青島をフィールドに具体的な事例をあげて検討することである.
東北アジア地域の特徴として, 次の点が指摘できる. (1) 地域内に濃密な人の動きがあり, 国家を越えるネットワークが形成されている. (2) 早期からの統一中央集権国家が存続し, 東北アジア地域を王朝・国家間関係として編成してきた. (3) 第二次世界大戦後は冷戦の緊張がもっとも集中する地域となり, 朝鮮半島, 中国 (大陸・台湾) は国家の分裂を余儀なくされた. (4) 高度経済成長による「自我の肥大化現象」とも言えるナショナリズムが強くなっている.これらの特徴は, 他者認識にナショナリズムを背負わせ, 互いを理解する構想力を規定している.
東北アジアでは, 地域内におけるトランスナショナルな移動を激増させ, 映画や音楽などのメディア文化, 食べ物, 化粧や服装など, 生活の全般にわたって文化の混淆が起きている.多様な文化を享受できることは, 生活の豊かさを演出していると言えるであろう.しかし, 産業社会における「文化の収斂」にしてもメディアによる「文化の無臭化」にしても, 互いが直接対面して会話をする場面になると, 無臭化も収斂もできない現実が出現する. 彼らの生活を見ると, 韓国人と中国人との間はナショナルな壁で分断され, エスニックなレベルでも, 韓国人と中国朝鮮族との間, 漢族と朝鮮族との間には, コミュニケーションを阻む壁が歴然と存在している.「公共空間」や「共同意識」を共有して, 互いの経験を直接理解できるところまで, その壁を低くさせることは容易ではない.しかし, われわれはすでに隣人として住んでいるという現実がある。われわれはエスニック・アイデンティティの変化の中に, 「自己の肥大化」による閉ざされたナショナリズムを越えて, 「共に住む隣人」として生きていくための条件を見いださざるを得ないであろう.

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