社会学評論
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56 巻 , 2 号
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  • 小倉 充夫, 正村 俊之
    2005 年 56 巻 2 号 p. 250-253
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 正村 俊之
    2005 年 56 巻 2 号 p. 254-272
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    近代社会が成立して以来, 国家間相互依存というかたちで世界的相互依存が発展してきたが, 20世紀後半以降のグローバル化は, 国家間相互依存の深化としては捉えきれない面を含んでいる.現代のグローバル化を特徴づけているのは, (1) 国家を含む多元的な主体のネットワーク的関係, (2) グローバル化とローカル化の同時進展, (3) 機能分化の再編, (4) 情報化への依存である.本稿の目的は, このような特徴をもつグローバル化が社会の編成原理の転換に基づいていることを明らかにすることにある.その転換とは, 一言でいえば, 内部と外部を厳格に分離する「分割原理」から, 内部と外部の相互浸透を許す「入れ子原理」への移行を意味する.入れ子においては, 全体を構成する各要素にとって自己の外部に存在する全体が自己の内部に現れてくる.コンピュータ・ネットワークをインフラ的基盤にした現代社会では, ネットワークの要素そのものがネットワーク的関係をなすようなネットワーク的関係が形成されている.このようなネットワーク的関係がローカルな領域とグローバルな領域の双方において多元的に形成されることによって, 近代国家と機能分化のあり方に変化が生じてきている.
  • 遠藤 薫
    2005 年 56 巻 2 号 p. 273-291
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本稿は, グローバリゼーションの進行と大衆文化変容の関係について, 既存理論枠組の限界を指摘し, 現代における「クラブカルチャー」がグローバルな文化圏域とローカルな〈場〉との往復運動のなかで展開していく様相の分析を通じて, 今日の「グローバリゼーション」のダイナミズムが, 重層モラルコンフリクトという動的モデルによって理解できることを論じるものである.
  • 梶田 孝道
    2005 年 56 巻 2 号 p. 292-308
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    グローバル化の進行の過程では, ナショナリズムが, しかも悲劇的な形でしばしば登場する.それゆえ「経済対文化」という対立が描かれやすい.しかし, こうした対立は運命的なものではない.本稿では, フランスを例にとって, この国がEUという存在を媒介項としながらグローバル化に対応している現実を分析する.その内容は, 簡単に言えば, 経済的分野における「密やかなグローバル化」であり, 社会的分野におけるグローバル化との軋轢と調整であり, 文化的分野でのナショナルな主張の追求である.フランスは, EUという媒介項を得たおかげで, 上記の3分野の間の統一をなんとか維持し続けている.こうした過程は, 言い換えると, フランスがグローバル化という用語が登場する以前から, EUのなかでグローバル化を控えめな形で経験してきた過程であるといえる.今日, グローバル化の進行するなかで, 一種の緩衝地域ないしはセイフティーネットとしての新地域主義 (M. テロ) が広がっている (NAFTA, MERCOSUR……). 新地域主義の代表格であるEUは, 加盟各国に対してグローバル化を推し進める一方で, グローバル化への緩衝地域ともなり, セイフティーネットともなっている.また, EUの地においては, ATTACに代表されるような既存のグローバル化に代わる「もう1つのグローバル化」を求める多数の運動体を生み出してもいる.その意味で, こうした新地域主義は, グローバル化に適応し, かつそれに挑戦する用具を提供するものである.
  • 柄谷 利恵子
    2005 年 56 巻 2 号 p. 309-328
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    市民権概念は, 領域性を前提とする主権国家体制の下で発展してきたが, 現在は不適合状態に陥っている.市民権を持たない居住者が増加し, その処遇をめぐり一定の権利付与が求められる一方で, 各国政府が市民権保有者の権利を保護し, その価値を保障することが困難になっている.グローバリゼーションは, いわゆる「市民権のギャップ」を生みつつも, 市民権の有無にかかわらず, 権利を主張しうる新たな基盤を提供している.
    本稿では, 海外に居住する移住者の権利要求の「基盤」として, (1) 海外に居住する市民が, 居住国での扱われ方について出身国政府に権利の代弁を要求しうる「対外市民権 (external citizenship) 」, (2) 市民権を持たない居住者として保障されるべき「外国人の権利 (aliens'rights) 」, (3) 「定住外国人の権利 (denizenship) 」, (4) 人として保障される「普遍的人権 (universal personhood) 」の4つを提示する.具体的には, (4) に基づく国際人権体制に属する, 「あらゆる移民労働者とその家族の保護に関する国連条約」の制定・発効過程を分析する.人の移動の歴史は古く, 移住者の権利侵害も絶えず存在した.したがって, グローバリゼーションを背景に主張されるようになった「人であることに由来する普遍的権利」以外にも, 移住者の権利を保護する基盤は存在していた.グローバル時代の特徴は, こういった基盤が複数存在し, それを利用する手段や代弁者が領域的制限から自由な点にある.
  • 関根 政美
    2005 年 56 巻 2 号 p. 329-346
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    現在, 経済グローバリゼーションを促進する「新自由主義経済イデオロギー」が国境の開放・自由化を求めている.他方で, 国民国家政府は, 人の自由な移動を厳しく制限・管理しようとしている.本稿ではこれを「移民 (入国管理) 政策のジレンマ」として考察する.そのためまず, 近代の人口移動のグローバリゼーションの歴史を探り, 次に, 入国管理規制の変遷について概観し, 最後に, 近年先進諸国では新自由主義経済イデオロギーのもとで移民制度の整備と入国管理規制強化が進められ, 管理能力を一段と高めていることを明らかにする.
    その影響としてまず第1に, 下積み職種労働者・家族呼寄せ移民の入国が困難になり, 逆説的な結果として, 難民申請者や非合法入国者が増大していることを明らかにする.また第2に, 非合法滞在者・外国人犯罪増加による社会的不安が先進諸国に醸成されるとともに, 戦後の大量移民が先進諸国の多文化社会化を促進した結果生まれた「文化戦争」状況を, 極右政党の台頭を例にみる.最後に, こうした社会・文化変動のなかで「多文化主義」の変容が進み, 新自由主義経済イデオロギーにより合致した移民政策と多文化主義が登場し, 社会的弱者の多い移民・難民は, 一度は人道主義観点から入国を許可され社会に包摂されるが, 結果的には, 社会的に排除・周辺化される傾向にあることを指摘する.
  • 佐々木 衛
    2005 年 56 巻 2 号 p. 347-362
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本論の目的は, 東北アジア地域がグローバル化のもとで公共空間として成熟するための条件を, 中国青島をフィールドに具体的な事例をあげて検討することである.
    東北アジア地域の特徴として, 次の点が指摘できる. (1) 地域内に濃密な人の動きがあり, 国家を越えるネットワークが形成されている. (2) 早期からの統一中央集権国家が存続し, 東北アジア地域を王朝・国家間関係として編成してきた. (3) 第二次世界大戦後は冷戦の緊張がもっとも集中する地域となり, 朝鮮半島, 中国 (大陸・台湾) は国家の分裂を余儀なくされた. (4) 高度経済成長による「自我の肥大化現象」とも言えるナショナリズムが強くなっている.これらの特徴は, 他者認識にナショナリズムを背負わせ, 互いを理解する構想力を規定している.
    東北アジアでは, 地域内におけるトランスナショナルな移動を激増させ, 映画や音楽などのメディア文化, 食べ物, 化粧や服装など, 生活の全般にわたって文化の混淆が起きている.多様な文化を享受できることは, 生活の豊かさを演出していると言えるであろう.しかし, 産業社会における「文化の収斂」にしてもメディアによる「文化の無臭化」にしても, 互いが直接対面して会話をする場面になると, 無臭化も収斂もできない現実が出現する. 彼らの生活を見ると, 韓国人と中国人との間はナショナルな壁で分断され, エスニックなレベルでも, 韓国人と中国朝鮮族との間, 漢族と朝鮮族との間には, コミュニケーションを阻む壁が歴然と存在している.「公共空間」や「共同意識」を共有して, 互いの経験を直接理解できるところまで, その壁を低くさせることは容易ではない.しかし, われわれはすでに隣人として住んでいるという現実がある。われわれはエスニック・アイデンティティの変化の中に, 「自己の肥大化」による閉ざされたナショナリズムを越えて, 「共に住む隣人」として生きていくための条件を見いださざるを得ないであろう.
  • 田巻 松雄
    2005 年 56 巻 2 号 p. 363-380
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    1980年代後半以降, 東・東南アジア地域内での労働力移動が顕著になった.この現象は, 経済のグローバル化のなかでアジア経済が全体的に躍進してきたこと, およびアジア域内における国家・地域間の経済格差が拡大してきたことを反映していよう.アジア域内の労働力移動は大量の非合法移民を生み出してきた.非合法移民の発生を「法的規制を無視して入国あるいは就労する人々」が生み出す問題とみることはあまりに一面的である.本稿では, 東・東南アジアにおける非合法移民に焦点を当てた.まず, その状況を俯瞰した上で, 主に移民政策を比較する視点から, 労働力に対する需要と移民政策との乖離, あるいは移民に対する規制強化が非合法移民を生み出す関係を検討した.また, 外国人労働力の後発的な受入国に共通する特徴や論理の抽出に努めた.非合法移民は, 国益の観点から外国人労働者の効率的な利用を図る受入国の政策と, 課せられた厳しい条件のなかでよりよい仕事と生活を求める外国人労働者の抵抗のせめぎあいが生み出す1つの産物である.
  • 小井土 彰宏
    2005 年 56 巻 2 号 p. 381-399
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    国際移民研究においてトランスナショナル視角が近年急激に影響力を増している.この視角が注目した双方向的な人間や情報が作り出した緊密な社会組織を基盤とする越境的な社会空間は, 国民社会的な枠組みでは捉えきれない経済・政治・社会文化的過程を生み出している.従来の移民把握を超えることを企図したこのような社会空間への注目はしばしば, 空間のもつ共同性や水平的なネットワーク関係を肯定的に描き, その中に潜在する退行, 分裂, 支配への契機を見逃しがちだった.一方, 国家やマクロ構造的な視点から見ると, トランスナショナルな移民集団は, 容易に国境を越えるわけではなく, 国家は移民との間に様々な協力・共犯関係を持つことで実は越境的な空間に影響を与え組織化を進めている.また, 現代の上からのグローバリズムとしての市場志向的な経済再編成が, この移民の作る越境的な空間の恒常化の前提条件を作り出す一方, 経済再編成と民主化の波が移民集団と送出し国の間の関係を変容させ, その「国内」政治経済への影響の拡大を引き起こしている.この視角を単に移民集団の越境的な横断的なネットワークへの注目を超えて, その錯綜とした内部構造の分析をするとともに, マクロ的な構造による上からの編成との相互作用を視野に入れることで, 現実の越境的な社会過程の複合的分析が可能になるだろう.
  • 大畑 裕嗣
    2005 年 56 巻 2 号 p. 400-416
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は, グローバル化に対応する社会運動に関する3つの異なった分析枠組 (反システム運動論, ネットワーク社会論, 東アジア市民社会論) における国家/市民社会関係の位置づけを比較検討することを通じて, わたしたちが生きている東アジアという地域の現実により根ざしつつ, グローバル化の時代に即応した, 市民社会論の組み換えへの道を模索することにある.反システム運動論は, 国家と市民社会が明確に区分され, 対抗しあうこともあるという古典的な前提を踏襲しているが, おそらく反グローバル化運動の実態と関連した戦略的計算のため, その点をあまり強調しなくなっている.ネットワーク社会論は, ネットワーク社会における市民社会と国家の位相を相対的に重視せず, 国家/市民社会関係という問題設定をはずして, 社会運動を論じようとしている.つまり, 反グローバル化運動の分析に主に用いられている既存の枠組では, 国家と市民社会は対抗しあうものとされるか, 中心的な分析視座とされていない.これに対し, グローバル化に対応する運動との関連では, まだあまり注目されていない東アジア市民社会論は, 国家と市民社会を相互浸透しあう領域として位置づける.
    現実の反グローバル化運動の中では, 東アジア市民社会論の視角につながるような要請もなされている.東アジア市民社会論は, この地域の特殊性と内部的多様性を宿命として担いつつ, グローバル化に対応するトランスナショナルなネットワークを地域内に形成していくための理論的・実践的課題を追求しつづけるであろう.
  • 加納 弘勝
    2005 年 56 巻 2 号 p. 417-434
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    グローバリゼーションが進行する中で中東地域においてはイスラム意識が高揚し, イスラム (原理) 主義運動 (以下, イスラム主義運動) が社会に対して影響力を維持し続けている.イスラム主義運動は政治活動と並んで, 国家などが提供できない福祉サービスの提供をローカルな場で担い信頼を得ている.国家, 市場, コミュニティというこれまでの福祉サービスの提供主体が活動を萎縮させ, そのことによって生じた空白領域でイスラム主義運動が一部で活動し, 同時に, イスラム社会の備える相互扶助の伝統にもとづいたイスラムNGO (現地ではPVO, ガマイーヤ) が広範な部分で活動している.イスラムにもとづく2つの運動が外部世界から確認できる.しかし, 前者のイスラム主義運動が行う, 具体的な福祉活動で判明するものは限られ, 後者のイスラムPVOが行う, 具体的な福祉活動は比較的判明する.エジプトにおいて活発に活動するイスラムPVOを福祉サービスの提供という視点から検討し, イスラム社会が備えてきた「福祉サービスの提供」の伝統との関連や, イスラム主義運動との関連を検討し, 今後2つのイスラムにもとづく運動を考察するときの検討枠を提示する.
  • 澁谷 智子
    2005 年 56 巻 2 号 p. 435-451
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本論文では, 耳の聞こえないろう者が出す発音の不明瞭な「ろうの声」が, 聞こえる人に「逸脱」として認識され, スティグマ化される現象を取り上げる.「ろうの声」は動物や怪獣といった「原始性」と結び付けられる一方で, 表象空間においては美化され, 感動の演出に使われてきた.しかし, こうした扱いと, かつて手話に向けられていたまなざしには, 類似点が認められる.今日, 手話が社会で肯定的に受け入れられている事実からは, スティグマ化の過程が社会の解釈によって大きく左右されることが示唆される.
    論文の後半では, ろうの親をもつ聞こえる人々の語りに焦点をあてる.この人々は, 親の印象操作を行う一方で, 親の声に対する自らの愛着も強調している.「ろうの声」に対する否定的な見方は必ずしも普遍的なものではなく, 聴者社会の規範を学ぶことで獲得されるのである.
    しかし, 「ろうの声」に対する聴者側の違和感は, 異なる文化や言語に対する違和感と違って, あまり表立って語られることがない「障害者を差別してはいけない」という道徳意識のためか, その違いはまるで存在しないかのように扱われやすい.しかし, 潜在的に生じる緊張感は, 聴者がろう者に深く関わるのを避ける要因の1つにもなっている.この違いを認識し, 聴者社会があたりまえに捉えている思考を見直すことは, 「文化」と「障害」の構造を考えるうえで有意義な視点を与えてくれるであろう.
  • 神林 博史
    2005 年 56 巻 2 号 p. 452-467
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2010/01/29
    ジャーナル フリー
    調査票調査では, 広い意味での政治的態度に関する質問において「わからない」 (don't know=DK) という回答が発生しやすいことが知られている.DK回答は通常の場合, 欠損値として処理され, 分析の対象とはならない.一方で, 政冶意識におけるDK回答は回答者の政治に対する消極性を示す重要な情報であるとの可能性が指摘されてきた.この見解が正しければ, DK回答と実際の政治的行動との間に関連が予想される.全国規模のパネル調査データを用いた分析の結果, DK回答の多い回答者は政冶行動に参加しない傾向があることが明らかになった.
  • 信友 建志
    2005 年 56 巻 2 号 p. 468-484
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    集団の形成と, その中での個人の位置づけに果たす記憶, 歴史, 神話の役割は広く社会学的な主題として認められるようになった.しかし, 多文化, 多民族化が進む現代社会においては, 集合的記憶の形成の比較社会学的な研究も必要であろう.
    本論では, フランスで民俗精神療法にあたっているT.ナタンの臨床活動を整理し, 神話的な素材の扱いが西洋型社会の精神療法での個人の歴史的な素材の扱いとどのような構造的差異を持つのかを検討した.まず, 民俗精神療法的な記憶の特性を, 集団の中での絶えざる実践においてのみ維持され, 再創造されていく生成的記憶として説明した.
    ここでは集団成員の精神的障害の治療は, 社会全体の神話の再創造によって行われる.他方, 精神分析的な観点では, 主体はこのような生成的な記憶の場としての≪他者≫からの切断によって構造化されている.この切断を補完するために, 主体はその記憶の生成的な運動を, 個人神話の生成を反復することにより, 主体の行為自身を歴史の記録の場とすることで維持している.
    このように構造的な分析を行うことで, 両者が精神療法的な治療の実践からなる主体性の装置のトポロジーの, 歴史的・環境的な差異に応じた変容であることが明確にされる.このことで, さまざまな誤解や摩擦をもたらしている異文化の精神療法的実践に対する理解を深めることが可能になると思われる.
  • 仁平 典宏
    2005 年 56 巻 2 号 p. 485-499
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    ボランティア活動に対しては, 国家や市場がもたらす問題への解決策として肯定的な評価がある一方で, ネオリベラリズム的な社会編成と共振するという観点から批判もある.本稿は, 既存の議論を整理し, ネオリベラリズムと共振しないポイントを理論的に導出することを目的とする.
    既存の議論における共振問題は, ボランティア活動の拡大が, ネオリベラリズム的再編の作動条件を構成するという条件の水準にあるものと, 再編の帰結に合致してしまうという帰結の水準にあるものとに整理される.条件の水準では, 公的な福祉サービス削減の前提条件とされる問題と, システムに適合的で統治可能な主体の創出のために活用されるという問題が指摘され, 帰結の水準では, 社会的格差の拡大とセキュリティの強化という帰結と一致するという問題が指摘されてきた.
    本稿では, これらの共振が絶えず生じるわけではなく, それぞれに共振を避けるポイントが存在していることが示され, それが, 共感困難な〈他者〉という, これまでのボランティア論において十分に想定されてこなかった他者存在との関係を巡って存在していることが指摘される.
  • 山田 信行
    2005 年 56 巻 2 号 p. 500-517
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
  • 藤村 正之
    2005 年 56 巻 2 号 p. 518-534
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
  • 早川 洋行
    2005 年 56 巻 2 号 p. 535-543
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 金子 勇
    2005 年 56 巻 2 号 p. 544-548
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 玉野 和志
    2005 年 56 巻 2 号 p. 549-558
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 奥田 道大
    2005 年 56 巻 2 号 p. 559-563
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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