日本呼吸ケア・リハビリテーション学会誌
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イブニングセミナー
脳科学から見た禁煙支援のヒント
磯村 毅
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2019 年 28 巻 1 号 p. 62-65

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要旨

喫煙には他の依存症と共通する神経学的変化(1.依存対象に対する永続する報酬系の過敏化,2.依存対象以外の報酬(食事・金銭など)に対する報酬系の反応性低下,3.前頭葉による制御機能の低下など)がある.しかしこれらの神経学的変化を喫煙者は必ずしも自覚しておらず,認知のゆがみが生じ,心理的にも禁煙が困難となっている(失楽園仮説).特に2の変化は自覚されにくく,ニコチンにより手軽に報酬が得られる喫煙の評価・優先順位が高くなってしまう.例えば食後の喫煙は至福の時と考える喫煙者は多いが,当人たちの認知とは裏腹に,これはニコチンの慢性作用に起因する食事の幸せに対する感受性低下を喫煙で対償しているに過ぎない.また禁煙後の生活を悲観する喫煙者は多いが,逆に禁煙に伴う報酬系機能の回復の可能性も示唆されている.これらの知見は喫煙者に客観的な視点を提供し,自らの喫煙行動を再考し禁煙への内的動機を高める契機となると期待される.

はじめに

ニコチン置換療法や禁煙補助薬の登場により禁煙支援はより効果的に行われるようになった.しかし,無関心者への働きかけや,高い再喫煙率など課題も多い.特に禁煙支援を行う際には,単に喫煙の害や,禁煙の利益を強調するのみならず,喫煙者に特徴的にみられる認知の変化(喫煙の害の過小評価・喫煙の利益の過大評価・禁煙の困難の過大評価)に対処することが肝要である1

喫煙はニコチンによる薬物依存症であり,他の依存症と共通する種々の神経学的変化が認められる.本稿ではこれらのうち主なものを概説するとともに,神経学的変化によってもたらされる心理的変化(認知のゆがみ)について考察し,より効果的な禁煙支援に資する心理的アプローチを検討する.

禁煙支援が空回りする原因は?

真摯になって喫煙者に禁煙を勧めても気持ちがすれ違ってしまい,うまく話がかみ合わないという医療関係者は少なくない.そんなとき医療者側は,喫煙のデメリットと禁煙のメリット(このままだと癌になるよ,禁煙すれば健康になるよ)を強調していることが多い.これはこれで,飴と鞭,太陽と北風となっていて,脅し一辺倒の禁煙支援ではないのだが,必ずしも喫煙者の心をとらえるとは限らない.なぜなら,喫煙者が禁煙に踏み切れない理由は,「喫煙のメリット」と「禁煙のデメリット」(タバコを吸うと落ち着くな,禁煙したらストレスでまいってしまいそうだ)を重視しているからである(表1).そのため喫煙者と向き合うためには,喫煙者の信じる「喫煙のメリット」や「禁煙のデメリット」について話し合う必要がある.そこで,ニコチンの脳や心理への作用に関する脳科学の知見を活かす心理教育が試みられるようになった.

表1 喫煙者と禁煙支援者の視点のずれ
支援者の注目点喫煙のデメリット(癌になるよ!)禁煙のメリット(健康になるよ!)
喫煙者の注目点喫煙のメリット(タバコでほっとする)禁煙のデメリット(ストレスがたまるかも)

依存症に共通する脳神経的所見と認知のゆがみ

ニコチン依存症において,他の依存症と共通して認められる主な神経学的変化には,依存対象(タバコ)に対する永続する報酬系の過敏化2,依存対象以外の報酬(食べ物や金銭)に対する報酬系の反応性低下3,前頭葉による制御機能の低下などがある.すなわち喫煙者は喫煙に関連する刺激に対して過敏に反応し,それを制御すべき前頭葉の機能低下と相まって喫煙に対するコントロールを失っている.

表2 依存症に共通する脳神経的変化
依存対象に対する永続する報酬系の過敏化
依存対象以外の報酬に対する報酬系の反応性低下
前頭葉による制御機能の低下

しかしながらこれらの神経学的な変化は慢性的に生じるため喫煙者は必ずしも十分に自覚しておらず,自分自身や喫煙行動に対する認知のゆがみが生じ,心理的にも禁煙が困難となっていると考えられる.

ニコチン依存症による認知的症状すなわち認知のゆがみは,1.喫煙による害の否定や過小評価,2.喫煙の効用の過大評価,3.禁煙の障害の過大評価からなり,その評価には加濃式社会的ニコチン依存度調査票(KTSND)(表3)が用いられる1

表3 加濃式社会的ニコチン依存度調査票(KTSND: Kano Test for Social Nicotine Dependence)

本稿では,依存症の心理教育に応用可能な主な脳科学的知見とそれに基づく仮説を紹介しながら,具体的な介入例を提示する.

薬物報酬過敏化説(Hypersensitization Theory)2

依存症の脳神経学的研究では,まず依存性物質が共通して脳内報酬系(ドパミン神経)を賦活化することから,この報酬系の薬物報酬に対する過敏化が依存症の原因であるとの薬物報酬過敏化説が提唱された.ここで特に重要なのは,動物実験を主体とした知見から,この過敏化は仮に薬物使用を長期間中止していても治癒することはなく,永続すると判明したことである2

この永続的な神経変化は,禁煙後長期間を経た後でも,たった一本の再喫煙から頻回の喫煙が再発する身体的基盤と考えられる(図1).ちょうど一度自転車に乗れるようになると,死ぬまで忘れないのと同様の永続的な変化と考えられている.

図1

喫煙による繰り返し刺激による脳の永続的な変化

報酬系神経の樹状突起に無数のシナプスが観察される.

この脳科学による知見は,喫煙者の認知のゆがみのうち,禁煙の障害の過大評価の解消に応用可能であろう.喫煙者は「自分は意志が弱いので禁煙は難しい」と考えがちであるからである.

例えば,長期間の禁煙後,久しぶりに会った友人に誘われつい「一本だけ」のつもりで再喫煙してしまった人が,その後なし崩し的に,元の喫煙者に戻ってしまった場合,当人は「一本だけ」という自分との約束が守れなかったことから,「自分は意志が弱い」と考え禁煙に対する自己効力感が失われやすい.しかし,薬物報酬過敏化説に基づき,自尊心を回復するような,例えば次のような説明が可能である.

過敏化した神経回路(止まらない回路)は長期間の禁煙後,他人のタバコがうらやましくなくなり,むしろ煙が嫌になっていたとしても脳に存在し続けている.その自覚がないため,つい油断してしまったわけであるが,もしこの止まらない回路の存在を知らされていたら,いくらつきあいのよい人であってもタバコの誘いを断っていた可能性が出てくる.つまり,問題は意志の強弱ではなく,知識の有無だったのではないか.

失楽園仮説(Paradise Lost Theory)4,5

失楽園仮説は禁煙臨床およびfMRIによる知見を基に提唱されている.例えば14歳の非喫煙少年にチェコレートを報酬として与えると報酬系の賦活が認められる.しかし喫煙少年の場合この賦活が減弱している.この変化は生涯喫煙本数が10本から認められ本数が増えるにつれひどくなる6.同様の反応性低下は金銭に対しても生じる7.すなわち喫煙者はチョコやこずかいなど日常生活の幸せが感じにくい(図2).

図2

喫煙少年のチョコレートに対するドパミン神経の低反応

喫煙少年ではチェコレートに対するドパミン神経の反応が非喫煙少年と比較し低下している.

日常生活の幸せや楽しみが感じにくいという変化に伴い,通常の(喫煙以外の)報酬と喫煙との優先順位の逆転という認知のゆがみが生じる.fMRIにより喫煙者ではタバコに対する脳内報酬系の賦活化が生じる一方で,ニコチン依存の進展に伴いタバコ以外の報酬(食べ物や金銭など)への反応が低下していることが示されている6,7図3).

図3

ニコチン依存の進展と脳内報酬系

失楽園仮説は,ニコチンがこの幸せが感じにくい状態(失楽園状態)を引き起こすとし,それにもかかわらず,その変化に気づかない結果,喫煙に対する認知の錯誤が生じるとする4,5.例えば,本来であれば食後に出るはずのドパミンが出にくいため,喫煙者は物足りなさを感じる.ここで喫煙するとニコチンによりドパミンが強制的に分泌されるため,「タバコは食後の安らぎをもたらす」と考える(実際にはタバコのために食事の楽しみが感じにくくなっていた).あるいは,喫煙後しばらくしてドパミンが低下してきた状態を通常のストレスによる変化と混同し,さらに,喫煙によりこれが解消されるため「タバコは(あらゆる)ストレス解消になる」と考える(実際にはタバコが解消するストレスはニコチン切れのストレスだけである)などである.

さらに喫煙者の中には,禁煙しようと思ってもほかに何の楽しみも無い,と禁煙後が心配になる人がある.そして,実際に他のことをしてみても楽しめない(報酬系神経の喫煙外報酬に対する低反応による).しかし本人は自分の神経系の変化に気づけないため,自分は生まれつきそのような人だ,と考える傾向がある(自尊心の低下).

このような喫煙者に十分共感を示したのち(動機づけ面接による聞き返しが有用である)(図4),失楽園仮説による病態の説明と禁煙後の展望を示唆することで禁煙に対する内的動機づけが高まることが期待される.

図4

失楽園仮説に基づく喫煙者理解と動機づけ面接を用いた喫煙者への介入例

喫煙者は喫煙以外の報酬(楽しみ)に対して脳内報酬系神経の感受性が低下している.そのためタバコ以外の趣味がないと嘆く場合がある.それに際し,動機づけ面接を用いることで喫煙者の考えを受け入れ,ニコチン依存の脳内メカニズムの心理教育へ誘導することができる.

失楽園仮説に基づく心理教育を行う場合,まず,現在の楽しみが少なくストレスを感じやすい状態が,ニコチンによる報酬系の機能低下の影響である可能性を指摘する.食事の後に喫煙したくなるのは,食事により本来出るはずの報酬系ドパミンの分泌不全が原因である可能性がある.足りないドパミンを補おうと喫煙したくなるのである.あるいは休憩時間に吸いたくなるのも,一仕事終えた後の達成感が報酬系機能低下のため感じにくいためかもしれない.

それに続き,「禁煙を開始することで,機能低下が回復するのだとしたら?」と問いかける.もちろん,もし回復するとしたら,禁煙後にはいろいろな楽しみを感じやすくなり,気持ちがだんだん明るくなってくるはずである.そして事実食事の楽しみをはじめ,そのような変化を感じる人は多い.禁煙後に食事がおいしくなる現象は味覚の回復として説明されることが多い.しかし,もしそれだけだとしたら,まずい味にも敏感になって良いのではないだろうか.しかし現実にはおいしくなったと答える人が大多数である.ということは,味覚の回復ばかりでなく,脳内のドパミン神経も回復しているのではないだろうか.というように,結論を押し付けるのではなく,客観的な視点を自ら回復するように促すのである.

こうした脳科学の知見に基づく心理教育は,喫煙者の気づきを促す「計算された分かりにくさ」8などのスキルとともに供されることが望ましいが,「リセット禁煙」などの読書療法9を用いて手軽に実践することも可能である.

患者や家族への説明

患者,家族ともに,喫煙は嗜好ではなくニコチンによる薬物依存であり,治療を繰り返すことで禁煙できると理解する必要がある.禁煙補助薬さえ使用すれば禁煙できるのではなく,禁煙開始には行動療法などが必要であること,禁煙と意志の強さは関連がないことを説明し,家族には禁煙を応援するように依頼する.また,喫煙者も非喫煙の家族も,失楽園仮説を知って喫煙にメリットがないことを心から理解すれば,禁煙者の再喫煙防止だけでなく,未成年の喫煙防止にも効果的な社会環境も整っていくだろう.

著者のCOI(Conflicts of interest)開示

本論文発表内容に関して特に申告すべきものはない.

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© 2019 一般社団法人日本呼吸ケア・リハビリテーション学会
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