2023 年 32 巻 1 号 p. 18-22
呼吸リハビリテーションにおいて呼吸練習はコンディショニングに位置づけられ,運動療法を効率的に遂行するために行われる.周術期においては,呼吸器合併症の予防を目的に行われることが多いが,呼吸練習単独での介入を全例に行うことに関しては否定的な報告が多い.しかしながら,呼吸練習の効果を検証した報告の多くは,呼吸練習の実施状況についての評価が不十分であり,十分に実施できていたかどうかは不明である.実際に,専門職種の間では呼吸練習に対するアドヒアランスは最も改善すべき事項として認識されている.その点を考慮し,アドヒアランスに留意した介入を行うことで呼吸器合併症の発症頻度や死亡率が有意に低下することが確認されている.したがって,現状においては呼吸練習の適応やアドヒアランスに留意しつつ,術前患者に呼吸練習を積極的に適用していくことを推奨する.
呼吸練習は深呼吸や腹式呼吸(横隔膜呼吸),口すぼめ呼吸などで構成され,リラクセーション,胸郭可動域練習,ストレッチング,排痰法と合わせて,運動療法を効率的に遂行するためのコンディショニングに含まれる介入法の1つである1).特に,胸腹部の外科手術における呼吸練習の目的は,手術による呼吸機能の低下や呼吸パターンの乱れを是正し,呼吸器合併症の発症を予防ないし発症後の回復を促進させることである.本邦では,肺結核に対する胸郭形成術が盛んに行われていた時代から医師・看護師らの手によって周術期の呼吸練習が行われてきた記録が残されており2),その内容は現在,理学療法士が中心となって取り組んでいる呼吸練習と比較しても何ら遜色ないものとなっている.
術後の呼吸器合併症予防に対する呼吸練習の有効性については未だ十分な根拠が示されていない.米国呼吸療法学会のガイドラインでは,周術期におけるインセンティブ・スパイロメトリー(incentive spirometry; IS)を用いた呼吸練習単独での介入を全例に行うことは推奨されておらず(Grade 1B),ISは他の呼吸リハビリテーションプログラムと併用して行う事が推奨されている(Grade 1A)3).また,Cochraneのシステマティックレビューにおいても,冠動脈バイパス(coronary artery bypass grafting; CABG)術後4)や上腹部手術後5)におけるISを用いた呼吸練習は,呼吸理学療法と比較した場合に,術後呼吸器合併症の予防に対する有効性は示されていない.さらに,肺切除術後において呼吸理学療法にISを上乗せした介入を行った場合においてもISの有効性は示されなかった6,7).
このように,周術期の患者に対する呼吸練習の有効性については否定的な見解を示す報告が多い.その一方で,これらの報告の多くはISの実施状況の評価が不十分であることが研究限界として明記されており,実際にどの程度実施できていたかは不明である.米国における呼吸療法士や看護師ら計1,681名から回答を得たISの使用状況に関する調査では,ISのアドヒアランス不良は最も改善すべき事項として報告されており,その主な理由としては失念が挙げられている8).その点を考慮し,Eltoraiら9)はCABG術後患者を対象にベルを用いてISの実施を促した条件で介入したところ,アドヒアランスの改善に加えて,呼吸器合併症の発症頻度の減少などの短期経過の改善と術後6ヶ月での死亡率の低下が得られたことを報告した.このことから,ISはアドヒアランスが良ければ有効である可能性があり,ISを導入する際にはアドヒアランスを改善させるために工夫することが重要であると考えられる.
周術期の呼吸リハビリテーションは早期離床や運動トレーニングが中心のプログラムで十分と考える臨床家も多いであろう.実際に早期離床や運動トレーニングは術後回復促進(enhanced recovery after surgery; ERAS)プロトコルの重要な構成要素の1つとなっており,呼吸器合併症の予防に対する有効性が確認されている10).しかしながら,実臨床ではすべての患者がERASプロトコルに沿って十分なリハビリテーションが実施できるとは限らない点や,医療機関によっては十分なリハビリテーションを提供できるだけのマンパワーが確保できない場合もあるであろう.そのような状況において,呼吸練習は患者自身が簡便かつ安全に施行することができるリハビリテーションの介入法として活用できるのではないかと考える.実際に,ISの介入効果を検証した報告においては,コントロール群においても深呼吸や排痰などの練習は標準的な介入として実施されていることが多い.また,呼吸練習で使用するISは比較的安価であり,有害事象はほぼ報告されていない.さらに,ISは患者の呼吸状態を視覚化できるため,モチベーションの向上や呼吸練習の達成度合いを日々把握するのに役立つ.術後の呼吸練習は呼吸器合併症の発症リスクが高い術後5~7日間程度を目安に集中的に行うと良いであろう.呼吸練習のアウトカムに関しては術後の呼吸器合併症の予防の他に呼吸機能の回復が挙げられる.特に,肺切除術後など呼吸機能が術前よりも低下する術式においては,呼吸困難の症状が早期離床や運動トレーニングの妨げとなる場合がある.基礎疾患に慢性閉塞性肺疾患等の慢性呼吸器疾患を有する患者や高侵襲手術を受けた患者においては,退院後も自覚症状が残存することで日常生活活動能力やQOL(quality of life)の低下へと繋がるリスクが高いことから,自覚症状が残存している間は深呼吸や腹式呼吸などの呼吸練習を継続するよう指導し,呼吸機能の回復を図ることが望ましい.
以上のような観点から,筆者は術後の呼吸リハビリテーション介入に呼吸練習を標準的に組み込むことを推奨する.その上で,呼吸練習は術後早期から円滑に導入できるため,可能な限り術前に手技を習得しておくことが肝要であろう.したがって,手術が決定した時点で呼吸練習の指導が行える体制を構築できると理想的である.しかしながら,わが国の急性期医療では診断群分類別包括評価(DPC; diagnosis procedure combination)制度が導入されており,入院期間は年々短縮している.そのような状況において,術前の入院期間中に十分なリハビリテーションを行える時間は限られている.また,現状においては診療報酬上の課題があり,その普及を妨げる要因の1つとなっている.具体的には,呼吸器リハビリテーション料は手術のおおむね1週間前から算定可能であるが,手術が決定した時点では算定できない場合がほとんどであり,がん患者リハビリテーション料に関しては算定要件が入院患者に限られており,外来患者では算定できないといった点である.早期に術前リハビリテーションを開始できるよう,今後の適応範囲の拡大に期待したい.
筆者の施設では,肺切除術が施行される患者に対して手術入院時から呼吸リハビリテーション介入を標準的に行っている.通常は術前1~2日間の介入であり,その間に呼吸機能や身体機能評価に加えて早期離床の意識付けや呼吸練習の手技習得を中心とした介入を行っている.また,呼吸器合併症の発症リスクが高い症例に関しては,通常よりも早期に入院し,呼吸リハビリテーションや口腔ケア,薬剤調整などを行い,患者の状態を最適化した上で手術に臨んでいる.実際に,筆者の施設の症例において,術前に呼吸練習を導入することで術後経過が良好であった例について紹介していく.
<症例1:超高齢症例>
90歳代,女性,独居,専業主婦,認知機能低下なし.
現病歴:約10年前から胸部レントゲン写真にて異常陰影を指摘されていたが経過観察.フォローアップのレントゲン写真にて陰影増大傾向を認めたため,胸部CTを撮像.右上葉肺癌を疑われ当院紹介受診.
既往歴:高血圧症(内服加療中),大動脈弁狭窄症(経過観察),両側人工膝関節置換術
喫煙歴:never smoker.
診断名:原発性肺癌(腺癌).
臨床病期:StageI期.
術式:ロボット支援下右上葉切除術.
経過:周術期の評価結果を表1にまとめる.手術の7日前に入院し呼吸リハビリテーションを実施した.術前初期評価時の呼吸練習指導では呼気が不十分であり,吸気流速も一定しなかった.自主練習と監視下での練習を行い,術前最終評価時のIS(Coach2®)は 1,300 mlから 2,000 mlへと大幅に改善した.術後は早期離床と呼吸練習(ISによる深呼吸),排痰法を行った.ISに関しては術後早期から円滑に実施が可能であり,忘れずに呼吸練習が実施できるよう,排泄時にトイレからベッドに戻ってきた際に看護師には患者への促しを依頼した.その後は呼吸器合併症を発症することなく,術後10日目に退院となった.退院時指導としては6分間歩行距離が術前よりもやや低下しており,自覚症状も呼吸困難が優位に残存していたため,ISによる深呼吸練習とウォーキングを指導した.術後2年時においても再発なく経過されており,呼吸機能の回復は良好であった.
術前初期 | 術前最終 | 退院前 (術後9日) | 術後2年 | |
---|---|---|---|---|
FVC | 3.12 L | 2.94 L | ||
%FVC | 150.7% | 147.0% | ||
IS(Coach2®) | 1,300 ml | 2,000 ml | 1,900 ml | |
6分間歩行試験 | ||||
酸素条件 | 室内気 | 室内気 | 室内気 | |
歩行距離 | 420 m | 425 m | 365 m | |
最低SpO2 | 94% | 95% | 92% | |
修正Borgスケール 呼吸困難/下肢疲労 | 0.5/2 | 0.5/2 | 2/0 | |
performance status | 0 | 0 | 1 | 0 |
FVC; forced vital capacity. IS; incentive spirometry. SpO2; saturation of percutaneous oxygen.
考察:本症例は超高齢患者であり術後の呼吸器合併症や身体機能低下のリスクが高い症例であると考えられた.認知機能の低下は認められなかったが,高齢であるが故に呼吸練習の手技習得には時間を要した.幸い,術前に手技を習得することができたため,術後の呼吸練習は円滑に導入することが可能であり,術後呼吸器合併症の発症予防に寄与したものと考える.また,退院時評価において呼吸困難の症状と運動耐容能の低下が残存していたため,自宅退院後も継続的に呼吸練習に取り組んでいただいた結果,葉切除を行っているにも関わらず遠隔期の呼吸機能は術前値と遜色がないほどにまで改善し,performance statusも術前と同レベルを維持することができた.
<症例2:低肺機能症例>
60歳代,男性,漁師.
現病歴:半年前に意識障害,食欲不振にて頭部および胸部CTを撮像し,脳腫瘍と右下葉腫瘍を指摘.脳腫瘍については開頭切除術を施行(麻痺なし).2か月後に気管支鏡下にて肺生検を実施し,扁平上皮癌と診断.手術目的に当院紹介受診.
既往歴:慢性閉塞性肺疾患(病期分類:stage I),高血圧症,高脂血症,2型糖尿病,狭心症(ステント留置後),閉塞性動脈硬化症(右腸骨動脈ステント留置後).
喫煙歴:1日60本,47年間.
診断名:原発性肺癌(扁平上皮癌,腫瘍径4.5 cm).
臨床病期:stage II.
術式:胸腔鏡補助下右下葉切除術.
経過:周術期の評価結果を表2にまとめる.手術の14日前に入院し,呼吸リハビリテーションを実施した.呼吸器内科も受診され,閉塞性換気障害は軽度であったが拡散障害が高度であったため,気管支拡張薬(LAMA/LABA合剤)が処方された.呼吸リハビリテーションではIS(Coach2®)を用いた深呼吸や排痰などの練習,自転車エルゴメーターを使用した全身持久力トレーニングを実施した.また自主練習として,呼吸練習と歩行練習を指導した.初期評価時のCoach2®は深呼気が不十分であり,数値は 1,500 mlと低値であった.そこで,深呼気を十分に促すために口すぼめ呼吸の練習を先行的に行い,深呼気の習得を目指した.その結果,口すぼめ呼吸による深呼気の手技を習得し,術前のCoach2®は 1,900 mlへと改善した.また,6分間歩行試験では呼吸困難の軽減を認め,歩行距離は405 mから440 mへと臨床的に有意な最小変化量11)を超える改善が得られた.術前は苦手意識があった呼吸練習も,十分な練習期間を設けることで手技の習得が得られ,術後は早期から円滑に呼吸練習に取り組むことができた.早期離床の際にはSpO2低下と呼吸困難が認められたため,酸素投与を行いながら,深呼吸および口すぼめ呼吸を行い,呼吸困難に対応した.術後は,医療者が促さなくても意欲的に呼吸練習に取り組む様子が見受けられ,自らISの手技を適宜修正しながら適切に実施できるようになっていた.最終的に,術後の呼吸器合併症は発症することなく経過し,運動耐容能は術前レベルに改善した.退院時は運動誘発性低酸素血症が残存していたため,労作時のみ在宅酸素療法(経鼻2 L/分)を導入し,術後12日目に自宅退院となった.
術前初期 | 術前最終 | 退院前 (術後10日) | |
---|---|---|---|
FVC | 3.68 L | 3.55 L | |
%FVC | 104.2% | 100.0% | |
FEV1 | 2.41 L | 2.45 L | |
%FEV1 | 84.0% | 84.8% | |
%DLco | 28.4% | 34.6% | |
IS(Coach2®) | 1,500 ml | 1,900 ml | 1,800 ml |
6分間歩行試験 | |||
酸素条件 | 室内気 | 室内気 | 経鼻2 L/分 |
歩行距離 | 405 m | 440 m | 432 m |
最低SpO2 | 91% | 92% | 85% |
修正Borgスケール 呼吸困難/下肢疲労 | 4/3 | 3/3 | 3/3 |
performance status | 0 | 0 | 1 |
FVC; forced vital capacity. FEV1; forced expiratory volume in 1 second. DLco; diffusing capacity of the lung for carbon monoxide. IS; incentive spirometry. SpO2; saturation of percutaneous oxygen.
考察:本症例は慢性閉塞性肺疾患による低肺機能(高度の拡散障害)を認め,術前は気管支拡張薬を投与しながら呼吸リハビリテーションを励行して手術に臨んだ.また,腫瘍径が4.5 cmと大きく,血管床の喪失が大きな右下葉切除が選択されたことに加えて,重喫煙歴があり,循環器疾患や代謝疾患も合併していたことから術後呼吸器合併症発症のリスクが高い症例であると考えられた.術前は2週間の呼吸リハビリテーションの期間を設け,十分な効果を得る事ができた.呼吸練習には苦手意識があったが,ISを用いて視覚的に効果が確認できたことによって意欲的に取り組めるようになった.その結果,術後は在宅酸素療法の導入が必要となったものの,呼吸器合併症を発症することなく早期退院につなげることができた.
周術期における呼吸練習単独での介入を全例に対して行うことの効果については否定的な報告が多い.しかしながら,呼吸練習は比較的安全に実施することが可能で,その適応やアドヒアランスに留意することで効果が期待できる可能性があることから,少なくとも医療者が十分に介入できない状況や呼吸器合併症の発症リスクが高い症例に対しては積極的に適用するべきであると考える.今後は,アドヒアランスを向上させるための工夫や,より具体的な適応症例について明かにしていくことが課題となるであろう.
本論文発表内容に関して特に申告すべきものはない.