挿管・人工呼吸管理中における早期離床は活発に行われているが,歩行練習に限定した効果は明らかではなく,安全性への懸念や医療者側・患者側の様々な障壁により実施できていないことも多い.しかし,挿管中の歩行練習は安全に実施可能であり,障壁に対する対策を行えば実現可能性は高い.また,集中治療室在室中の動作能力は自宅退院の関連因子であることが報告され,離床以外の付加的なリハビリテーションの効果が明らかになっていないことから,歩行を含めた離床を基本とすることが重要であると考えられる.歩行練習は動作能力の獲得だけでなく活動能力低下に対する不安の解消,達成感の獲得による現治療に対するモチベーションの維持・向上など,精神心理面へのメリットは大きく,家族ケアの一助となる.挿管・人工呼吸管理中の歩行練習は,様々な障壁や不明点はあるものの同時に多くのメリットも存在するため,実施を推奨したい.
挿管・人工呼吸管理中の早期離床は,集中治療室(ICU)における早期リハビリテーションの中核を担う手段として広く実施され,患者の転帰を改善するための有効な手段とされている.重症患者における早期リハビリテーションのエキスパートコンセンサス1)では,早期から歩行を含めた運動療法を開始することは歩行能力を改善する可能性があり,基本的な日常生活活動(ADL)再獲得に効果がある可能性があるとしている.しかしながら,挿管・人工呼吸管理中における歩行練習の効果について検討した質の高い研究は存在せず,歩行練習単体の効果は明らかではない.また,Clarissaら2)の早期離床における活動内容に関するシステマティックレビューでは,報告ごとの離床の“定義”についてまとめられている.この報告によると,研究ごとに「ポジショニング」から「歩行」まで様々な段階の定義が存在し,共通定義の不足,標準化されていないという問題点を浮き彫りにしている.早期離床が重要であることは言うまでもないが,挿管・人工呼吸管理中の歩行練習のみに限定すると,機器の管理や人員配置など様々な理由により実施できていない施設は多い.各施設により「座位練習まで」「立位・足踏み練習まで」など離床の“文化”は異なるため,挿管・人工呼吸管理中の早期離床は必ずしも歩行練習まで到達することを目標にしていない現状がある.以上のことより,挿管・人工呼吸管理中の歩行練習は実現可能性の観点から考慮すべき点が多く,歩行練習による種々のアウトカムへの影響は不明であることから,「わざわざ歩行練習をする」必要性があるかについては不明である.
本稿では,挿管・人工呼吸管理中の歩行練習について,pros(推奨)の立場より,安全性,障壁,効果や必要性の側面から実施すべき理由を述べる.
挿管・人工呼吸管理中の歩行練習を行うべきではないという理由の一つに,安全性に関する懸念,様々な障壁による各施設での歩行の実現可能性の低さについての問題がある.以下に離床の安全性についての報告,障壁とその対策について述べる.
1) 歩行練習の安全性挿管・人工呼吸管理下での歩行練習についての安全性について述べる.Nydahlら3)の報告によると,ICUでの離床・リハビリテーション中における挿管チューブ抜去イベント発生は,17,148セッション中わずか2回であり非常に稀である.また,気管挿管患者のベッド外での運動における有害事象リスクは少なく,安全に実施可能であるというコンセンサスが得られている4).当院では理学療法士がICU専従配置となった2017年より歩行練習を開始しているが,現時点で気道管理を含めた医療事故は発生していない.安全性の観点より,挿管・人工呼吸管理中であっても,リスク管理を行えば歩行練習を含めた離床ができない理由とはならない.
2) 歩行練習の障壁「私たちの施設では挿管・人工呼吸管理中に歩行練習は難しいです」という声をよく聞くが,その障壁は何か.離床の障壁は医療者側,患者側に区別される.医療者側の要因は,早期離床の構造的障壁,ICUの離床に関する文化的障壁,離床プロセスに関連する障壁に大別される.これらはマニュアルやプロトコルの作成,教育・トレーニング,ミーティング,スクリーニング等により対策可能である5)(図1).歩行練習を含めた早期リハビリテーションを開始するにあたり,実際に当院で生じた医療者側の障壁とその対策を紹介する.
文献5を元に作成
①リハビリテーションに関する知識・経験不足
→挿管・人工呼吸管理中の離床,腹臥位管理等についての多職種でのシュミレーショントレーニングや勉強会の開催(図2左)
写真左:挿管患者に対するリハビリテーションのシュミレーショントレーニングの様子.医療者が模擬患者となり,看護師,理学療法士で実施している.
写真右:現在のリハビリテーション進捗状況と,週末リハビリカンファレンスで話し合った土日に実施してほしい内容を各部屋のホワイトボードに記載している.
②担当する医療者によるリハビリテーションの実施や進行度合いの相違
→早期離床・リハビリテーションプロトコルの作成
→リハビリテーションカンファレンスによる情報の共有と目標の設定
③週末(リハビリテーション担当者不在時)の離床遅延
→週末用リハビリテーションカンファレンスによる実施内容の共有と週末の目標設定(図2右)
→病床稼働率が高い場合はマンパワー不足となるため,看護業務を減らしリハビリテーション実施時間を確保
(例:重症例では,土日の清拭のうち,どちらかは陰部洗浄のみとし離床の時間を確保する)
④リハビリテーションに関する環境・物品の不足
→ICU関連機器の選定への理学療法士の関与,新製品デモンストレーションの積極的実施
業務改善のための理学療法士,看護師からなるリハビリテーショングループにより,現在の問題点と対策について繰り返し話し合われ,適宜修正することで障壁を取り除いていった.これらの障壁は歩行練習に限ったものではないが,挿管・人工呼吸管理中から実施する上では問題になりやすい事項ばかりである.解決することで歩行練習に対するハードルは低下する.
3) 当院における歩行練習の実際(図3)筆者の所属するICUでは,リハビリテーション中止基準に該当せず,主科からの安静度制限など特段の理由がなければ上記の体制で歩行練習を実施している.早期離床・リハビリテーションプロトコルに歩行練習を組み入れ,理学療法士と看護師が中心となり挿管・人工呼吸管理中の歩行練習を積極的に実施している.
挿管チューブ事故抜去予防の安全対策として,歩行練習を行う患者の挿管チューブはテープ固定ではなく,原則として挿管チューブ専用器具による固定とする.歩行前にはカフ圧を確認し,必要であれば口腔内,カフ上部,気管内吸引を実施する.また,ルート,ドレーン類は必要性に応じて衣服に固定するなどし,事故抜去対策として工夫している(図4).①心電図,経皮的動脈血酸素飽和度モニターを装着,②人工呼吸器を移動用として配備している小型のものに変更,③歩行補助具としてICU用歩行車(点滴棒やドレーンフック,酸素ボンベ架台が装備されているもの)を使用する.小型の人工呼吸器は取り回しが容易であり,ICU用歩行車にはシリンジポンプやドレーンバックなどを取り付け可能なため,マンパワー不足解消の一助となっている.
実際の歩行場面では,歩行介助は基本的に理学療法士,医療機器や点滴棒などの操作は看護師により行われることが多く,概ね2~4名で実施している.ICU内廊下は一周 50 mであるため,プロトコルでは歩行目標を 50 mとしている.
ICUでの動作能力は自宅退院に関連する因子となることが明らかになってきている.ICU入室中の最大移動能力は自宅退院の関連因子であり,ベッド上座位や立位・椅子への移動までの能力しか獲得できなかった群と比較すると,介助下もしくは自立歩行が可能となった群で自宅退院の割合が多い6).また,医療施設退院群と比較し自宅退院群では,基本動作能力の指標であるfunctional status score for the ICU(FSS-ICU)の点数が有意に高く,1点上昇するごとに在院日数は0.27日短縮,自宅退院のオッズは11%上昇する7).自宅退院に必要なICU退室時のFSS-ICUの点数は,16点8),19点9),23点7)であり,概ね20点前後である.これは中等度~軽介助での起居動作,立位,歩行可能なレベルと同等であり,ICU入室中では介助下でも歩行能力を獲得すること,動作能力を高めることが自宅退院に向けた一つの目標となるであろう.このことから,ICU在室中に少しでも動作能力を向上させることが重要であり,挿管・人工呼吸管理中である早期より歩行練習を行うことはICU退室時の動作能力を向上し,自宅退院を目指す上で大きなメリットとなると考えられる.
2) ベッド上運動挿管・人工呼吸管理中は,離床のみではなく,身体機能の維持・向上を目的としてベッド上の運動が実施されている.では,歩行の代替手段としてベッド上の運動では不十分なのだろうか.自転車エルゴメーターや神経筋電気刺激療法の実施による報告を見ると,身体機能改善に対する効果は明らかになっていない10,11).ベッド上運動の良好な適応は明らかになっておらず一概には言えないが,現在のところは,特別な機器を用いることなく可能な早期離床を主軸することが重要であると考える.
3) ICU退室後の離床の障壁ICUでの医療者側の離床の障壁については前述の通りだが,ICU退室後の離床における患者側の障壁として特に問題となるのが,frailtyである12).臨床場面ではfrailtyが進行した状態での一般病棟でのリハビリテーションは進みにくく,回復が遅延することがさらに障壁となることで悪循環に陥ることがある.ICU入室中から動作能力を高め介助量を減らすことはICU退室後の離床の継続にも繋がることを意味している.また,歩行練習は患者のfrailtyを予防・改善させるためのプログラムの一つとして必要であり,長期的な予後改善を見据えた重要なポイントであるといえる.
4) 精神的ケアとしての歩行練習当院ICUでは面会時に離床時間をあわせ,歩行練習の様子を見学したり一緒に歩いていただくことがあるが,コロナ禍では面会禁止のため,図5のようなICU日記の活用,歩行練習などの離床中の写真を撮影し家族に見ていただくなどの方法で対応していた.これらにより,家族の安心感,患者の治療に対するモチベーションの維持・向上に繋がる事例を経験している.歩行練習は動作能力の獲得だけでなくADL低下に対する不安の解消,達成感の獲得による治療に対するモチベーションの維持・向上など,精神心理面へのメリットも大きい.「歩行できた」ということは,患者や家族にとってわかりやすい回復の指標であり,歩行する患者の姿を見ることで家族ケアの一助ともなっている(図5).
挿管・人工呼吸管理中の歩行練習中の写真とともに,看護師による日々の記録が記載されている.この症例では,「今日も朝から,歩く練習がしたいとおっしゃっていました」と,リハビリテーションに意欲的な発言があったことなどが書かれている.
挿管・人工呼吸管理中の歩行練習に限定した効果は明らかではなく,上記で述べたさまざまな障壁が存在するため歩行練習を行わない施設も多いだろう.しかし,歩行練習は安全に実施可能であり,多くの障壁は対策をすれば改善可能である.さらに,ICUでの動作能力が高いことは自宅退院を目指す上で重要な要素であり,ICU日記などと併せた包括的な取り組みは精神的なケアにもなる可能性がある.また,あえて歩行練習を行わない方が良い,という明確なデメリットは存在しない.以上のことから,挿管・人工呼吸管理中に歩行練習を行うことを推奨したい.
本論文発表内容に関して特に申告すべきものはない.