抄録
市民革命期の公教育プランにおいては科学の教育は重視されるが, 反動〜革命〜反動と勢力図が変転する19世紀フランスにおいて、科学教育の地位は不安定な状態におかれる。エリート養成を使命とし、それゆえ人間を考察する文芸教育が極めて重視されてきた中等教育においてとりわけそのことがあてはまる。しかし、産業化の進展にともない職業教育そしてそのための基礎教養として科学教育の必要性が主張されるようになる。1852年のフォルトゥル文相による専攻別クラス分け制度の創設はそのような世論に応える試みであったが、社会的認知を受けるに至らなかった。