2016 年 31 巻 5 号 p. 1-4
昨年市民が興味を持った数学の問題 3.1+5.9 は何が正解かということは、すごく簡単に思えることの中にあいまいさが隠れていた。この答えは何かはだれが決めるのか、また算数教育ではどのように扱うかが問われてきた。しかし、ほとんど答えらしきものは出ないままに、興味関心は薄れてしまった。この問題の中に「各自の数学的信念」が隠れていると考えられて非常に面白い問題と思った。同時に、数学教育の中のあいまいさがどのくらいあるか、そのあいまいな問題をいかに解決するかが問われている。この数学教育の問題とともに科学教育ではこのようなあいまいな問題が存在するかを問いたい。科学教育(数学を含めて)は学問体系も確立していて、なにも疑うことなしに行われている感じもしたが、予想以上に困難な課題がある。この課題は学問の中に存在するのではなく、学校教育の扱い方に問題があるといえよう。大衆化される教育においてその出発点の問題点は、学問とは別に難しさがある。この難しさを乗り越えることは教育の在り方を問うことでもある。