抄録
明治33年に汚物掃除法が施行され、塵芥処理が地方行政府の責任で行われるようになった後も、古紙・襤褸・屑鉄などは経済的価値を有し、民間事業によって塵芥処理とは独立する形で回収が続けられた。本研究では、大正・昭和初期の東京において、資源回収業が民間事業として行われ続けた要因について考察していく。明治末期から大正期にかけて、資源回収業においても塵芥・屎尿処理と同様、衛生問題が大きな影響を与えることになり、資源価格の不安定性は看過できない問題であった。回収業者は衛生問題への対応を共同で図るとともに、第1次大戦を契機とした工業化の発達に伴って回収品目の拡大を図り、その後も軍需インフレや技術革新などを背景に民間事業として維持されることになった。