西域まで支配を広げた唐と,アラビヤから急送に版図を拡大してきたイスラム王朝がタラス河畔で衝突,両大国が接したことで製紙技術がイスラム社会に伝わった。
アッバース朝は,紙を統治の手段として使うと共に,文化面でも推奨した。タラスの戦いから300年後にイベリヤ半島でも紙が生産されだす。book marketがうまれ,バクダッドに栄えるが,モンゴルの破壊によりダマスカスへ移った。それが,チムールの征服によりカイロへ移る。13世紀頃より,製紙技術を手にしたイタリヤがイスラム市場へ紙を輸出出だした。イスラムの製紙技術とbook marketはイランを中心に14世紀に最盛期を迎えた。
イスラムの紙は,亜麻から得られるリネンのぼろを,水車を動力として叩解,手漉き,風乾した後,小麦でんぷん主体の塗工剤を塗り重ね,風乾後磨き上げる。これにより,ペン書きに耐える紙となる。
イスラム世界では,紙は,コーランの記述をとおして社会に広がった。さらに,アッバース朝の文化政策により,ヘレニズムを含む多文化の翻訳,数学・商業・地図学等の学術の発展で,出版(主として写書)が急増,14世紀に文明の爛熟期を迎えた。