2002 年 28 巻 p. 59-70
本研究は,近世京都における都市の拡大を象徴する「新地」開発の意義について,領主による土地経営という視点に立脚し,具体的事例をもって論考するものである。事例としてとりあげた京都建仁寺では,18世紀初頭,伽藍の法堂再建という大事業に着手した。しかし幕府の緊縮財政下にあって再建資金の調達は難航する。そうしたなかで,年貢徴収権を温存させた同寺境内に残る耕地の開発が,寺領収入の増加につながる手段として重要視されていく。建仁寺が境内全域を18世紀初頭よりわずか半世紀の間に新地として開発するに至った背景には,このように逼塞した寺内の財政状況と,新地開発行為の生み出す利潤に対する認識のあったことが確認できた。