2010 年 36 巻 p. 387-398
本研究は,近代大阪の貸家経営者が残した「井上平兵衛家文書」を素材として大阪都心部の居住空間について検討した。明治20年代前半の貸家には近世と変わらない伝統的な形態が継承されていた一方で,借家人の経済力や需要に基づいて,表家と裏家を合併して貸借する,裏貸家を2軒貸借するなど,多様な居住形態がみられた。明治30年代後半になると設備の専用化や水道栓の設置など,近代的変化の要素が表れてくる。地域レベルでも下水排水路や上水道など,近代的衛生設備の整備が図れていた。しかし,居住環境の近代化は大規模な施設整備によってのみ牽引されたのではなく,衛生組合主導による地域共同体の諸活動が重要な役割を果たした。