抄録
本稿は、水問題研究家・嶋津暉之の歩みのなかで、その運動的な側面を振り返るものである。衛生工学者・嶋津暉之が工場用水について研究する時、そこには、「本当に工場用水が要るのか。水源開発は必要なのか」という問いが貼り付いていた。すなわち、嶋津の問い・考察はすぐれて実践的なものである。
衛生工学者・嶋津の予想どおり、石油危機以後の水源開発には「過剰開発」という問いがちらついていた。そうした全国各地の水源開発と嶋津の関わりは、琵琶湖総合開発の差し止め請求を皮切りに、亡くなる直前まで多数に及んだ。裁判における専門家証人となったものでも、琵琶湖総合開発のほか、徳山ダム、八ッ場ダムなど多数に及ぶ。また裁判外の関わりでも、渡良瀬遊水池、倉渕ダム等多数に及ぶ。法定の内外における嶋津の戦いもまた、戦後河川行政史を裏面から浮かび上がらせるものである。