日本においては1899年に助産者の職業資格が制度化され, これに伴う助産の専門家の登場が「第一次お産革命」の始まりとされ,そのプロセスはおよそ40年間におよぶとされている. この「第一次お産革命」の間に,西洋医学に基づく産婆教育を受けた新産婆が養成され,出産は地域社会の相互扶助による営みから,西洋医学の観点、を用いた専門家が関わる健康問題であるという認識に転換された.助産の専門家となった新産婆の活動は,従来の新産婆のライフヒストリー研究で明らかにされている.本稿では,新産婆のライフヒストリー研究を踏まえ,新産婆の普及過程を制度および政策的側面から再検討し,新産婆の実践活動の効果を乳児死亡率という母子保健統計データを用いて確認したいと思う.結論として,乳児死亡率が改善されるのは1920年から1940年の20年間である.次に,産婆資格が制度化されてから乳児死亡率が改善するまでの20年聞は,一般の人びとが新産婆を受け入れるために必要であった年月であり,新産婆らが活動の場を確保する困難さを示していることが再確認された.そして,乳児死亡率の改善は全国一斉に生じた動向ではなく,新産婆らが活動拠点、とする特定の地域から改善が始まり,新しい知識・技術を受け入れる地域の拡大にともなって全国で乳児死亡率が改善された.