本稿の課題は、現代日本の"多民族社会化"の実態と意義を、諸個人の生活と文化変容のレベルに降りて把握・考察することにある。在日外国人の階級・階層は多様で、彼らを「エスニック・マイノリティ /同じエスニシティの人々」と一括するのは難しい。また彼らの多くは、多様な世界観と人生展望-ユニバーサル、ナショナル、グローバル、バイオリージョナル、インタナショナル、コスモポライト等-をもつ。これらはいずれも、周辺諸国民としての諸個人の、一方では自律的・内発的・相互平等的な国民国家形成、他方では国民国家の枠に囚われない諸個人の生活の発展的再生産という、2方向での「現代化(脱近代化)」の相克・ジレンマを孕んだ生活戦略である。彼らは、グローバリゼーションの渦中で国境間移動を余儀なくされるが、同時に自らの能力・資源を駆使した移動によって階層的上昇を模索しうる「強者」でもある。下層階級の外国人と日本人には、国籍・民族文化の違いを超えた階級・階層的な共通性がある。彼らは、グローバリゼーション下での「周辺・下層」という自己認識を共有した同じ下層階級の一員であり、多文化主義者ではない。しかし最下層の外国人の中には、孤立し、民族的劣等感に苛まれる者もいる。そこには、民族的要素が階級的矛盾を増幅させ、同時に階級的・民族的連帯をも困難にする、一種の袋小路的状態がある。