フォーラム現代社会学
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巻頭言
論文
  • ―安徽省農村部出身の既婚女性のライフコースから―
    沈 思遠
    2026 年25 巻 p. 3-17
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    家事労働は、世界の労働市場で女性化された職種である。中国では2000年以降、多くの農村出身既婚女性が都市と農村を往来し、都市家庭の再生産を支える役割を担ってきた。彼女たちの移動動機には個人的選択だけでなく、都市―農村構造、家庭規範、業界規範の制約に基づく構造的困難も含まれている。本稿はライフコース視点で、安徽省農村出身で長期間都市で働く15名の女性を対象に初回の移動、業界参入から継続的従事に至る過程での動機変化を分析した。

    動機変化は3つに分類される。①個人需要主導型:家庭内での緊張関係の回避や経済的自立のため離郷・就業し、支援ネットワークを活用して徐々に自己成長や職業発展という動機に移行した。②家庭・個人需要交錯型:家計補助と自己形成の両立を志向しつつ、家計状況に応じて移動動機の重心を家族需要と職業的関心の間で可変的に移動させる。③家庭需要主導型:移動と就業はほぼ家庭の経済圧力で決まる。三類型は共通の制度的制約の下にあるが、家庭責任の構造や動員可能資源の差異により、主体性の発揮様式と移動・就業経路が分化する。類型①は社会関係資源を職業発展に転化し自己価値と生活秩序を確保する。類型②は家庭需要と個人志向の間で資源配分を調整しつつ就業を維持する。類型③は資源制約により主体性が縮減し、就業は生計維持に限定され構造的脆弱性を抱える。動機はライフステージに応じ再編されるが、いずれも就業維持に至る。

  • ―刑務所演劇の脚本を事例として
    加藤 このみ
    2026 年25 巻 p. 18-31
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    本論文は、カナダの刑務所演劇団体William Head on Stage(WHoS)の舞台脚本とそれに関連する語りを事例として、出所を控えた受刑者が他者に対して自己像を再提示する方法を示すものである。ここで着目する刑務所演劇とは、受刑者が自らの経験をもとにして制作した演劇を、外部アーティストの協力を得ながら、一般観客に向けて上演する演劇創作活動である。先行研究では刑務所演劇の肯定的な効果が析出されてきたが、演劇における受刑者の語りや観客との相互行為に着目した社会学的な研究は行われてこなかった。他方で、ナラティヴ犯罪学という分野においては、犯罪離脱者の語りに関する重要な研究として、当事者の語りの特徴を定式化した「贖罪の脚本」(Maruna 2001=2013)がある。本論文では、Shadd Marunaの提唱する「贖罪の脚本」の議論に対する批判を再検討するとともに、刑務所演劇において受刑者がいかに社会からのまなざしに対峙しながら自己像を再提示しているのかを分析する。演劇においては、一見すると「贖罪の脚本」の特徴に沿うような受刑者の自己の物語化が成立しているが、その背景には、そこから逸脱するような経験のリアリティを垣間見せながら自己像を提示する試みがある。そして、その二重構造を担保しながら受刑者が自己像を演じることを可能にする条件として、観客やアーティストという他者との共同性があることを示す。

  • ―閉校記念誌と過疎地域で生まれ育った若者の語りから―
    水野 遼太郎
    2026 年25 巻 p. 32-45
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    本稿は、衰退という地域の集合的なストーリーのなかで、子どもたちが学校統廃合をいかに意味づけていたのかを明らかにするものである。先行研究では、ドミノ倒しのように進む学校統廃合と地域社会との関係がマクロ/メゾ的に論じられてきた反面、その当事者である子どもたちの学校統廃合経験の内実については十分に検討されてわけではなかった。そこで本稿は閉校となった中学校を事例として、閉校記念誌と閉校を経験した若者たちの語りから、学校統廃合をめぐる子どもたちのミクロな意味世界について分析を行った。

    その結果、以下の知見が導かれた。地域の将来という時間の共有可能性を揺らがせる閉校という出来事において、子どもたちは継承をめぐるアンビヴァレンスのなかで主体としての役割期待を負うこととなる。子どもたちもまた地域の歴史や存続への思いは前提として共有するものの、幼少期からの衰退の「しょうがなさ」と「広い世界」への期待というローカルな文脈のもと、実際の学校統廃合は「寂しくない」経験として読み替えられていた。しかし、それは地元を離れるという展望ともスムーズに繋がるがゆえに、長期的には地域の存続とは噛み合わないという逆説が生まれる。以上を通して、衰退とともに生まれ育った子どもたちの人生と地域社会の存続との間の矛盾の構造を明らかにした。

特集Ⅰ 空間とコミュニケーションの変容―公私の境界線を問いなおす
  • 永田 夏来, 平井 晶子
    2026 年25 巻 p. 46-47
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー
  • ―リミナルな空間としての路地と共有領域―
    永田 夏来
    2026 年25 巻 p. 48-59
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    本稿は、神戸市長田区南部の長屋と路地を事例に、リミナルな空間における公共性の生成を考察する。阪神・淡路大震災後の再開発から取り残された当地域には木造住宅が連なる細路地が残存し、近年は移住者から「人との距離感の心地よさ」が再評価されている。2020年以降に実施した参与観察と住民への聞き取り調査に基づき、分析を行った。その結果、路地では植木鉢や三輪車の配置、子どもの遊び、立ち話など、私的領域から公的領域への生活の「にじみ出し」が確認された。この現象は長屋の建築的連続性、内外の曖昧な境界、2メートル前後の路地幅、銭湯や喫茶店といった基盤施設によって支えられている。路地は「通る」と「居る」の二つの機能を重ね持ち、V. Ng and J. P. Lim(2018)が示したリミナル空間の三層構造が重なり合う場として機能する。この公共性は制度的管理ではなく、住民の暗黙の了解と身体的実践によって維持される。外部者にとって参加様式は見えにくいが、ゲストハウスのマニュアルのような「翻訳」により、V. Turner(1969=1976)の実存的コミュニタスを制度化せず部分的に開かれている。長田の路地は、公私の境界の曖昧さを保持することで関わりを生み出し、近代都市計画の二元論に対するオルタナティブを示唆している。

  • ―空間の変化による住人の自己開示の変化―
    福澤 涼子
    2026 年25 巻 p. 60-73
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    本稿は、転居を経験したシェアハウスの事例分析を通じて、構築環境の変化が人びとの意識や行為に及ぼす影響を考察するものである。シェア居住は非親族同士の共住形態であり、近年、単身の若者を中心にその認知度と実践数が急速に増加している。また、孤立・孤独の解消という文脈から、高齢者や母子世帯、子育て世帯など多様な属性に開かれた住まい方としても注目されている。シェアハウスの空間は、完全なプライベート空間である個室と、リビングや水回り等の共用空間から構成される。そのため、一般的な住宅と比較して、友人・知人を招き入れやすく、シェアメイトの友人など必ずしも親しくない人物が自宅リビングに滞在する場面も生じやすい。この点において、シェアハウスは自己と外部社会を媒介する「公私の接点」と位置づけられる。本稿では、このような人為的に構築された居住空間における公私のあり方に着目し、特に住人間の自己開示の深さに注目して、空間の変化がコミュニケーションに与える影響を明らかにする。事例分析の結果、シェアハウス構成メンバーが大きく変わらない場合でも、空間の開放性やデザインが自己開示にまつわる相互行為に大きな影響を及ぼすことが示された。

  • ―リスクマネジメントによって生み出される建築空間―
    松村 淳
    2026 年25 巻 p. 74-87
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    近年、新築される市庁舎や市民会館などの公共建築においては、その建築的な様相が従来から大きく変化しつつある。特に、図書館、美術館、ホール、カフェ、子育て支援施設など複数の用途が一体化された複合施設型の公共建築が増えている。こうした公共建築の変容を歴史的に眺めると、戦前は、列柱・尖塔・外装の格式など、建築様式を通じて“威厳”を示す表現が重視されたが、戦後は国家や自治体の権威を示すシンボル性と、市民への民主性を兼ね備えることが模索されてきた。その後、高度経済成長期やバブル期においては、表現の多様化・装飾性・象徴性の強い公共施設が各地で建てられたが、バブル崩壊以降は“ハコモノ”的な公共建築に対する批判が強まり、現代は、公共建築の建設は費用対効果・住民の納得性を問われるものとなった。本稿はこうした転換期にあって、少子高齢化や地域活性、防災対策など、複数の社会的要請を同時に満たすことが求められる現代公共建築の姿に注目する。特に、設計・建設・運営のプロセスに市民を巻き込むワークショップや意見公募などの市民参加型手法が標準的になっている点は注目に値する。本稿では、こうした複合機能型公共建築と市民参加型のプロセスを中心に分析し、これらが後期近代性の視点からどのような意義を持つかを明らかにする。

  • 空間と人々のかかわりをどう考えていくか
    牧野 智和
    2026 年25 巻 p. 88-93
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー
特集Ⅱ 近現代における「時間と社会」
  • 松田 素二, 梅村 麦生
    2026 年25 巻 p. 94-95
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー
  • ―20世紀の都市勤労層の時間規律的飲酒様式
    右田 裕規
    2026 年25 巻 p. 96-105
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    夜の繁華街でアルコールを楽しんでいた男性勤労者が、終電車の時刻が近づくと、酒宴を切り上げ最寄り駅やなじみのターミナルへと急ぎ、それと認めた列車に乗りこみ家路につく。20世紀日本の大都市で、このような光景が毎夜のように展開されていたことは、多くの資料によって裏づけられる事実である。

    アルコールの力を借りて、時計時間が支配する労働世界から一時的に脱出すべく、余暇の酒場へと向かったはずの人びとが、朝の出勤時と同様の厳格な定時行動を、真夜中の街区でくりひろげる。飲酒と酩酊が、代表的な労働離脱的営みの一つと目されてきたという研究史上の事情と併せ、この光景は、都市勤労者たちの時計時間に対する徹底した従属ぶりを、端的に教えるものである。

    その一方、深夜の酩酊者たちの定時行動は、時計時間に制約された意識・行動の社会的全面化を、合理的な意識・行為の覇権化プロセスへと一元的に回収することの難しさを示した現象としても、解される必要がある。本報告では、以上の諸点について、大まかな見取り図が示される。

  • 梅村 麦生
    2026 年25 巻 p. 106-117
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    今日の学術活動にとって、切っても切り離すことができないのが「締切」である。「締切とは何か」と問われたら、本誌の読者ならばたちどころに答えることができるであろう(もちろん、「いつまでに提出できますか」と尋ねられて、答えに窮することはままあるとしても)。研究者たちは、学術誌への投稿論文や依頼原稿の締切、奨学金や助成金への申請締切、所属先への提出書類や求職先への応募書類の締切など、さまざまな締切に取り囲まれて生きている(さらには、休日に行きたいコンサートのチケット抽選、子供の保育園への入園、年齢制限が迫る保険商品への加入などの申込締切も控えているかもしれない)。大学や学会の役職に就く人たちは、互いに締切を交換しあっているかのごとくでもある。

    こうした締切は近代の組織活動に不可欠であり、近代の時間概念や時計時間、暦の制度の発展などに支えられ、近代化とともにさまざまな領域へと浸透した。情報通信技術や交通網がさらに発達した現代においても、締切の設定と活用は止むどころかいっそう進んでいる。

    この締切について、日常的にはなじみがある一方で、社会学の研究はまだ十分に発展していない。そこで本稿では、締切を社会学的に研究するための可能性について、特にニクラス・ルーマンの「締切論文」と呼ばれる論考から締切理論を再構成することで検討する。

  • ―タイのフィールドから―
    西井 凉子
    2026 年25 巻 p. 118-130
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    近代性の時間は「時間は未来から到来する」という未来優位的時間論であるとされる。田辺繁治はこれとは対極的なベンヤミンの「可能的過去」のなかに、未来の到来を見る。田辺は、過去の死者たち、事物、出来事を受け入れて、それらに込められた希望と要求に応答することに生き延びる可能性をみる。それは「死者と生者の共同性」として存在することである。

    本報告では、このような「死者と生者の共同性」の可能性にむけて情動(アフェクト)論から考える。情動論では、我々の生の現実は、個の意図や主体性を超えて行為するなかで、他の身体と影響/作用しあいつつ常に生成され続けているとみる。死を含む時間というのは、身体に基づく自然誌的時間から過去を現在化しつつ生きている現実のうちにあり、現在性の出来事の記述においてのみ垣間見られる。

    こうした具体的な記述を、南タイのフィールドにおいて私が深くかかわってきたある女性の死と弔いをめぐって試みる。「弔い」をめぐる記述は、情動論がめざす抽象的には容易には了解しがたい潜在性、生の流れに、具体的な「モノ―人」の連鎖からなる出来事を通して接近することである。死者を自らの中に生かす「弔い」を通して、私たちが生きる現実とは、現在生きている人や感覚器官をとおして知覚されるモノのみならず、死者や目にみえないモノが接続して、新たな局面を生成し続ける拓かれた営みであることが見えてくるであろう。

  • 伊藤 美登里
    2026 年25 巻 p. 131-142
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/09
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、古典的近代の時間が有していた、不可逆な直線性と抽象的な量という特徴が、後期近代への移行にあたり、いかなる形に変化しつつあるかを、個人に焦点をあてて解明することにある。まず、自己論やアイデンティティ論の検討から、自己やアイデンティティや主体から長期的一貫性が消滅しつつあることを確認した。これを時間の観点から読み解くならこうなる。古典的近代において個人の時間は不可逆な長い直線として思い描かれていたのに対し、後期近代には未来が短期化した。古典的近代において未来は個人が構想可能な「開かれた」ものであったが、情報科学に基づく技術が社会に普及した後期近代には、統計の示す「過去の再現」と、その先の予測不能な未来という未来像が広まりつつある。それにともない、可逆的な時間のイメージもいくらか強化された。次いで、統治の技法の変化を論じた諸研究の検討から、後期近代の環境管理型権力において、個人が情報の束と見なされ、ゆえに一貫性を欠く形で短期的に変化する存在となったことが確認された。ここでも時間の直線性は弱まりつつある。環境管理型権力は、AIのような最新の科学技術を用いて、人間の反射的な側面に働きかけ誘導する。そこでは、数量化された時間が依然として重要な役割を果たしているが、その主たる役割は客観的尺度からデータへと変化している。

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