2021 年 20 巻 p. 17-30
家族・子どもの社会史研究の一部は、同時代の家族・子ども観を映し出す鏡として、実親と切り離された状態にある子どもに対する保護・養育のありようを研究対象に据えてきた。こうした研究は主に「家庭」概念の生成期である明治後期・大正期を対象として展開されてきたが、一方で実親と切り離された子どもに対する処遇が社会問題となった画期である敗戦直後の児童保護は看過されてきた。
本稿は、敗戦直後の時期に戦災孤児・生活困窮児・精神薄弱児の収容・教育を目的として設立された滋賀県・近江学園の草創期の実践を、子ども観の社会史の視座から描きだすものである。その際、戦後の児童保護のありようをそれ以前のそれに対して特徴づける、心理学や児童精神医学の専門知の影響力の増大の一つの現れとしての知能検査の普及が、いかに子どもを分類する実践やそれに伴う子ども観に影響を与え変容させていったかに特に着目していく。
創設当初の近江学園の実践に見られたのは、「戦災孤児・生活困窮児」「精神薄弱児」といった入園理由による分類にともなった固定化した子ども観であった。しかし知能検査の実施を契機にそれらの子どもへのまなざしは変容し、子どもを分類する実践も再考されるようになる。このように児童行政において一定の基準に従って子どもを分類するために導入された知能検査は、児童施設という現場においては子どもへのまなざしを絶えず更新する契機となっていた。