東京大学
2020 年 87 巻 3 号 p. 367-378
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本稿は、森昭における人間の「生成」の歴史性と自然性に関する議論を、京都学派の思想圏との関係性に着目しながら検討し、その可能性と限界を見定めることを目的とする。具体的には、森のハイデガー解釈に着目し、それが和辻哲郎と高坂正顕によるハイデガー解釈と関連していることを示すことで、本稿の目的に迫る。この検討は、人間生成の歴史性と自然性との緊張を緊張として思考する地平を切り開くものとなる。
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