教育哲学研究
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鈴木晶子著『イマヌエル・カントの葬列-教育的眼差しの彼方へ』
山名 淳
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2007 年 2007 巻 96 号 p. 191-198

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抄録

誰もが-少なくともその名前と哲学史における輝かしい地位については-よく知るイマヌエル・カント。著者である鈴木晶子氏は、近著『イマヌエル・カントの葬列』を、このあまりにも有名な哲学者の、とはいえほとんど語られることのない最期の瞬間を描写することから説き起こしている。ある思想まつこ家の末期から葬儀までの状況描写をもって導入を試みる教育学の書物を、評者は管見にして他に知らない。多くの読者は、まず本書を開いた時点で、このことに意表を突かれ、また衝撃的で謎めいた出だしに惹きつけられるであろう。その一方で、この導入部は、読み返してみると、本書の主調を予示しているという点においては、むしろ必然的でさえあるという印象をも抱かせる。本書は、一九九四年から雑誌『現代思想』において著者が公にしてきた複数の論文を基盤としつつ、それを死生の観点から編み直したものである。この死生をめぐる著者の関心が、すでに本書の入り口辺りで漂っている。死生という観点からの編み直しが、教育学研究としての著者の大きな賭けであるように思われるのだが、その点については後述する。
本書は、第I部「カントを失う」 (第一、二、三章) 、第11部「教育の世紀」 (第四、五章) 、第III部「喪の技法」 (第六、七、八章) の三部で構成されており、さらに、第II部と第III部の間に「間奏曲」として「発達の行方」という論考が収められている。本書の樹幹をなしているのは、「カントが呈示した問題系が教育的思考様式や教育学という学問形式にどのように受け継がれ、あるいは忘却されたか」 (「はじめに」vii頁) という問いである。すべては、直接的または間接的に、カントをめぐる問題とかかわっている。とはいえ、本書は多層的に読み込むことができるようにできており、とりあげられている主題や話題は多岐にわたる。本書の構成にしたがって各章の内容を順番に一通りなぞることによって本書を見渡すことは、評者には到底できそうもない。
ここでは、著者による上述の問いにしたがって、とはいえ評者の関心にもとづきつつ、まず<カントの継承>という視点から、最も重要であると思われるいくつかの章の概要を示してみたい。その後、<カントの継承>についての論述に折り重ねられている<カントの忘却>についての論述がどのようなものであるかを確認し、最後に、そのようなカント問題との格闘の末に浮上する死生の教育思想に注目して、本書の核心部分を読み直してみようと思う。

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