抄録
【目的】学生を被験者とした非利き手書字練習の研究で,非利き手による文字のクセや表情が,利き手のものと酷似する傾向を観察することができた.これは脳内の利き手のための文字情報を,非利き手が何らかの方法で利用したことを示唆している.非利き手が利用可能なクセや表情等の利き手の書字情報は,視覚イメージと関節覚イメージである.最も有力なのは関節覚イメージであり,利き手の関節覚イメージが非利き手に反映されることを直截に検証できればよいのだが,いまのところその方法はない.そこで今回は,被験者が自書した文字を刺激として,文字の視覚イメージの曖昧さを逆説的に検証した.
【方法】対象は作業療法学科学生の20名である.この対象に自書文字選択課題と視覚入力を部分的もしくは完全に遮断する書字課題を行なった.自書文字選択課題では,20個もしくは10個の文字列から被験者自身の書いた1文字を選択させ,その正解率を評価した.課題は「家」等の文字の「宀」の部分だけを刺激として提示する部分刺激課題と,「海」等の1文字を省略せずに完全な形で提示する1文字刺激課題の2種類を実施した.視覚入力を部分的もしくは完全に遮断する書字課題では,開眼・閉眼・書字フィールドだけを視覚遮断した3条件下での書字および図形描画を行なわせ,線分の長さの比率と角度を比較評価した.
【結果】自書文字選択課題の正解率は,一文字刺激が44.4%,部分刺激が32.6%であった.互いに自分の字であると誤認した被検者AとBの文字に注目すると,Aはハネが多いのに対してBにはほとんど見られず,横棒のバランスも,最後のテンの位置もかなり違う.比較すれば明瞭に区別できるのに,自分の文字の抽出はできなかった.また,実験中,利き手を宙で動かして書字の模倣運動を行なっていた被検者を16名(80%)確認した.視覚遮断した書字課題では,閉眼のほうが部分遮断よりも,次の画の起始点のずれが大きく右下にずれる傾向があった.しかし,線分の長さの比率と角度は一定であった.
【考察】書字が視覚的なイメージによってコントロールされているとするならば,自書文字選択課題における正解率は低すぎる.視覚を遮断した書字課題では,起始点のずれが見られるものの,連続する線分の長さや折れ曲がる線分の角度は一定に保たれており,書字コントロールが視覚に依存しないことを示している.自書文字選択課題において,宙で手を動かし,運動模倣によって刺激文字との相違を確認していたのは,あやふやな視覚イメージを運動によって補完する行為であると考えられる.書字における視覚の意義は,起始点と終止点の確認であり,文字の表情を形成する線分の長さや角度は関節覚に代表される運動イメージではないかと考えられる.