マーケティングジャーナル
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書評
和田充夫・梅田悦史・圓丸哲麻・鈴木和宏・西原彰宏(2020).『ブランド・インキュベーション戦略』有斐閣
久保田 進彦
著者情報
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2022 年 41 巻 4 号 p. 126-128

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I. 本書の概要

本書は「ブランド・インキュベーション戦略」という,新たなブランド戦略について論じたものである。副題に「ブランドは,こうして生まれ育って行った」とあるように,強いブランドがいかにして育ったかを検討することで,ブランドの育成法について論じている。

まず本書の概要から説明しよう。ブランド・インキュベーションとは「ブランドが孵化・育成されること」(p. 14)である。より具体的に述べれば,ブランド価値の源泉(ブランド・コンセプトなど)が生み出され,それが価値あるブランドへと成長していく一連の過程を指している。またブランド・インキュベーション戦略とは,売り手(企業)と買い手(消費者)の相互作用に「第3の主体」を加えることで,こうしたブランドの誕生や成長を効果的に促そうとする戦略である。ただしこの第3の主体は,第3者だけではない。そこには人や組織だけでなく,相互作用の場や場面(つまり機会)なども含まれている。

ブランドの成長に,こうした第3の主体が関わることは,実務家にとって不思議でないはずである。大成功したブランドの裏に知られざるキーパーソンが存在したり,意外なチャンスが作用していたという話は,珍しいものではない。ところが現代ブランド論ではそうした第3の主体の影響について多くを論じてこなかった。

これに対して本書は,強いブランドを構築するには時間が必要であること,そしてその過程で組織外部の行為者と協力し合ったり,偶発的な機会を巧みに利用することが有効なことを論理だって主張している。ブランド論に動態的視点と外部資源の活用を意識的に組み込もうとするこの姿勢は,現代ブランド論に対する本書の大きな貢献といえる。

II. ブランドを生き物としてとらえる

このように本書の内容はとてもユニークなものだが,その根幹をなす基盤的な視点に「ブランドを生き物として捉える」(p. 10)ことがある。たしかに人間であっても他の動物であっても,子供が育つには時間が必要であるし,親だけでは不十分である。動態的視点を持つことと,外部資源の影響を考察する重要性を,生き物という比喩を用いて論じたのは見事である。

このような優れた視点は,本書の筆頭著者である和田充夫氏の研究の積み重ねによるところが大きいだろう。評者が知る限り,和田氏の論じるマーケティングの基盤にはLazer and Kelley(1958)に代表される「マネジリアル・マーケティング」がある。マネジリアル・マーケティングの特徴は,マーケティング活動をシステムとして捉え,目的(市場の創造や拡大),対象(ターゲット顧客),要素(マーケティング・ミックス)の組み合わせにより,マーケティング戦略を考えていくことにある。本書の議論もこうした考え方を受け継いでおり,包括性と実践可能性を重視する傾向にある。

また研究者としての和田氏は,Jacoby and Chestnut(1978)に代表される「ブランド・ロイヤルティ論」や,顧客との長期的関係を重視する「関係性マーケティング」(リレーションシップ・マーケティング)にも積極的に取り組んできた。ブランドと関係性というテーマは,一見すると異質な組み合わせに思えるかもしれないが,これらはいずれもマーケティングを長期的かつ相互作用的な観点から捉えようとする点で共通している。ブランドという安定的な利益を生み出す装置のマネジメントに,やはり長期的な観点を重視する関係性マーケティングのロジックを組み込むことは,実はきわめて理にかなっているのである。そしてこの組み合わせこそが,本書の基本的な枠組みを構築している。

III. 鍵概念としての恒常性

上述した関係性マーケティングでは,1つ1つの取引が「その歴史と予想された将来の中で眺められる」(Dwyer, Schurr, & Oh, 1987, p. 12)ようになる。すなわちそこでは,個々の取引が過去の経験と将来的な期待から影響を受けるようになる。たとえばこれまでの経験に基づいて相手を信頼したり,また将来的な付き合いを考えたうえで相手と接したりすることとなる。

本書では関係性マーケティングのこうした特徴を,「恒常性」という概念を用いて取り込んでいる。そして「市場で長く愛されるブランドは生き物と同様に,成長し,新陳代謝を行い,恒常性を持つ」(p. 10)と主張する。恒常性(ホメオスタシス)とは,生物がさまざまな環境変化に対応して内的状態を一定範囲に保ち生存を維持する現象のことだが,関係性マーケティングが主張する歴史性を,動態的変化を伴うブランドという存在に当てはめるには,たしかに適切な概念である。

実はブランド・マネジメントに関係性マーケティングのロジックを組み込むというアプローチは,それほど珍しいものではない。Fournier(1998)によるブランド・リレーションシップ論は非常に有名であるし,僭越ながら評者自身もこうした考え方を研究で採用してきた。しかしこれまで,ブランドとそれを取り囲む要素との相互作用を恒常性という概念を用いて記述した研究はなかったと思われる。

ブランドは周囲と相互作用を展開することで変化する。しかし機械とは異なり,その変化は,過去から基づく自律性に強い影響を受ける。ブランドを,それまで培われてきた歴史や伝統の影響から完全に切り離すのは難しい。このため前述した「ブランドを生き物としてとらえる」という視点は,「恒常性」という概念と組み合わさることで,論理的な妥当性をいっそう高めている。

IV. 研究者をインキュベーションする

本書は和田氏の長年にわたる研究の集大成と言えるかもしれない。そこでは「いかにしたらマーケティング・システムを構成する行為者らが時系列的に影響を及ぼしあうか,そしてその行為によってブランドという意味や価値を保管し伝達する記号が創り出されていくか」(Kubota, 2021, p. 56)が,実践可能な水準で分かりやすく論じられている。

もちろん本書は,和田氏だけの力で完成したものではない。和田氏と古くから交流のある梅田悦史氏や,和田氏から直接指導を受けことのある圓丸哲麻氏,鈴木和宏氏,西原彰宏氏という若手研究者の努力によって完成したものでる。一般に,複数著者による研究書はそれぞれの著者の主張を組みわせたオムニバス的な色彩が強くなりだが,本書はそうしたこともなく,「ブランド・インキュベーション戦略」という1つのコンセプトについて,じっくり深めていく内容となっている。

梅田氏によれば,本書は和田氏を中心として数年にわたり続けられた研究会の成果をまとめたものだという。その間,圓丸氏,鈴木氏,西原氏は研究者としての実力を着実に伸ばしてきた。すると本書を執筆する若手研究者も,梅田氏という第3の主体の力を借りながら,和田氏によってインキュベーションされたのかもしれない。そんな風に,いくつもの読み方ができる,楽しい本である。

References
 
© 2022 The Author(s).

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https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja
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