抄録
本稿は、アドルノによる批判的キルケゴール受容に着目しながら、宗教 的・神学的モチーフに関するアドルノの思想を「世俗化」という観点から 検討するものである。第一には、アドルノがキルケゴールにおいて、その 主観主義的側面を批判しながらも、神学的に動機づけられた否定主義的 ヘーゲル批判のモチーフを引き継ぎ、自らの否定弁証法哲学へと展開して いることが確認される。第二には、アドルノが、同時代のキルケゴール受 容との対決を通して、神学的超越の次元を除去することで内在的思考を絶 対視するような「哲学の領域への神学の移し入れ」という世俗化の形式を 問題視していることが、明らかにされる。第三に、アドルノが、実定的な 教義に基づく特定の宗教を真とする立場を退けながらも、美的な否定性と ともに経験される他なる可能性への希望に、啓蒙された時代になおも可能 な神学的超越を見ようとしているという点が示される。こうして本稿が論 じるように、アドルノの思想のうちには、既存の社会や内在的な思考の閉 鎖性を打破するための「神学の刺」を美的経験のうちに救出するような世 俗化の試みが見いだされるのである。