中東レビュー
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論稿
イスラエル経済:グローバル化と「起業国家」 第Ⅱ部:産業政策とイノベーション
清水 学
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2018 年 5 巻 p. 134-151

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抄録

Since the 1990s, Israel’s industrial development has entered a new phase owing to active engagement in Information and Communications Technology- related ventures. In the first decade of the 21st century, Israel succeeded in presenting her image as a “startup” nation, attracting worldwide attention. Israel’s economy, which was highly industrialized, tried to adapt itself to economic and financial globalization. In 2010, Israel was accepted as a full member of the Organisation for Economic Co-operation and Development. The collapse of Lehman Brothers in September 2008 brought to the fore not only the instability of the global financial system as a whole but also the latent weak potential of economic growth, especially in developed countries that lacked innovative, leading industries. In this framework, microlevel initiatives in Israel carried out using active venture capital to explore new niches and new, innovative, high-tech fields attracted the attention of various countries. These fields include the wider areas of software development in ICT—such as big data analysis, cyber security, nanotechnology, artificial intelligence, and the Internet of Things—in addition to biotechnology and the pharmaceutical industry. It is important to note that Israeli industrial development has been influenced not only by economic necessity but also by national security needs. This latter priority guided the selection and concentration of resources within Israel’s limited national budget and investment capacity.

Academic research and development also contributed to improvement in the technological aspect of the military industry. Technological know-how spillover from the military industry contributed to some extent to an emerging, domestic, microlevel high-tech industry. The military operations engaged in by the Israel Defense Forces in conflict zones in the Middle East, including operations in occupied territories, provided an opportunity to enhance the quality and practicability of weapons produced. The increasing volume of military grants from the US also supported the military industry in overcoming difficult financial phases. Therefore, Israel’s model of a “start-up” nation is not applicable directly to other nations, as the model was not neutral, owing to the state’s guidance and intervention on security issues. Although the new neoliberal macroeconomic circumstance is favorable to the “start-up” of new ventures, the indirect support by the state through various policies also contributed to the building of a positive environment for them. New markets for Israeli weapons and high-tech gadgets such as drones are expanding rapidly, particularly in huge emerging markets such as India and China. Although the export potential of military equipment is immense, it obliges Israel to be involved in delicate and complex international political relations among the importing countries. This is a new challenge in this unstable and risky world, as high-tech and military equipment always bears political implications beyond economic interests.

はじめに

第Ⅰ部で述べたように独立以降のイスラエル経済を大きく分けたのは1985年の中央銀行改革を軸とする新自由主義的経済体制への転換であった。イスラエル経済は1970年代後半以降、一種の行き詰まり現象が見られるようになり、高インフレと証券市場の混乱に直面した。当時米国を中心にケインズ学派から新自由主義への「パラダイム転換」が進展していたが、この新潮流はイスラエルの経済学者にも影響を及ぼし始めていた。それを背景とする新自由主義の導入には米国の圧力と支援も大きく寄与したが、この転換は摩擦を伴いながら、各種経済規制の緩和とヒスタドルート(労働総同盟)の影響力後退を伴った。このマクロ政策の枠組み転換が、民間資本の活動と海外資本の参入の条件を改善したことは事実であるが、新自由主義的改革の導入が常に民間資本を主体とする経済発展に結びつくわけではない。また同時期に国際的に進展し始めた貿易・資本のグローバル化に対応し得る経済主体が自然に生まれるわけではない。企業形態とガバナンス、労働力の質と労働市場、資本市場と資本調達、技術水準、海外を含む販売市場などの条件の総合的作用によって、その転換が成功する。イスラエルの場合、前世紀末頃からIT/ICT部門および軍事技術のスピルオーバーと見られる産業分野での存在感が目立つようになり、さらにベンチャー企業の叢生も注目されるようになり、「起業国家」の一つのモデルとして注目されるようになった。そのなかでイスラエル経済は先進国型に移行し、2010年8月にはOECDのメンバー国として受け入れられた。ここでは新自由主義的環境が整備されるなかで、具体的な産業発展のありかたを規定した条件とその指導的技術産業の特徴を検討し、「起業国家」のモデル性とその制約条件の模索を試みることを課題とする。

1. 新自由主義と産業発展

従来イスラエル経済の牽引力として注目されているのは、伝統的なダイヤモンド研磨・加工とならんで、実験・経験の蓄積を通じて一層精緻化・汎用化されたドリップ農法に代表される節水灌漑技術および農業機械とに農業技術、および兵器生産であった。しかし前世紀末以降急速に国際的注目を集めるようになったのは、ICT(情報通信)関連産業の発展である。インテルなどのハード面での製造実績に付け加えて、イスラエルでソフト開発面での優位性が特に注目されるようになった。それは今日の無人航空機(ドル―ン)を含む各種兵器、さらにビッグ・データ処理解析、サイバー・セキュリティー、ナノ・テクノロジー、製薬・バイオ関連産業などでのデジタル的総合化を準備することとなり、これらのハイテク産業の多角的展開が国際的関心を集めるようになっている。同時にハイテク産業発展の担い手としてのベンチャー企業の群生とそれを支える制度的文化的側面が注目され、「起業国家」のモデルとして宣顕されることになった。2008年のリーマン・ショック以降の低成長に悩む先進国経済、従来の高成長から低めの「新定常」経済へのソフトランディングをめざす中国、中国よりやや高成長を誇り成長産業としてのICTを有するインド、兵器輸出に優位性を保持しつつハイテク化を戦略的課題とするロシアなどが「イスラエル・モデル」への関心を深めてきた。その要請は中国・インド・ロシアとイスラエルの間の外交関係にまで影響を及ぼすようになっている。

2009年に米国で発行されたダン・セノールとサウル・シンガーによる『起業国家―イスラエルの経済的奇跡の物語―』はイスラエルの新たな産業発展政策と技術開発政策の成功例を紹介するものとしてベストセラーになった1。同書はイスラエルの制度文化、特にIDF(イスラエル国防軍)における機構・文化の側面と「起業」メンタリティを結び付けてイスラエル経済の「奇跡」を説明しようとした点に特徴がある。しかし、その後10年近く経過し、イスラエルの起業家のなかには、必ずしもIDFとは直接の関係がない多様な企業家も登場するようになった。IT/ICT発展が一つの牽引力となったイスラエルの産業技術発展の変化は目覚ましい。いわゆるムーアの経験法則はIT産業の発展テンポに注目したもので、「集積回路に搭載できるコンポーネントの数は2年毎に倍増する2」というもので、今まではほぼそれが事実上実現されてきたようにその変化は激しいからである。ここでは主としてリーマン・ショック以降の10年近い時期において、イスラエルの産業発展を、主導産業での変化とその政治的外交的インパクトを含めて新たな側面からみることをねらっている。 イスラエル経済あるいはイスラエル産業を検討する今日的意味は多面的である。第1に、イスラエルの産業政策を支えてきたメカニズムの独自性であり、特に政府および国防軍(IDF)の関与とその指導的役割、およびその中で進展した産業発展におけるグローバル化の独自性である。具体的には実験データの集積のメカニズム(兵器・医療・サイバー・セキュリティ―など)、経営者の供給源、技術発展やベンチャー・ファンドにおける政府・軍の指導性、資本調達におけるグローバル化の進展、特に米NASDAQ市場でのIPO(株式新規公開)の重要性、産業分野におけるニッチ性の追求などが注目される。第2に、イスラエル・モデルの他地域への移転可能性である。米シリコン・バレー以外のITを経済産業発展の牽引力としようとしている複数の国や周辺中東アラブ諸国もイスラエル・モデルへの関心を強めていると見られるが、その移植可能性については第Ⅰ部で述べたように条件の質的相違も無視することはできない。それは経済活動を活性化する上での「市民社会」的自由度とも関連しており、前記『起業国家』では「首長のジレンマ」としてアラブ湾岸諸国と比較してその面での条件が大きく異なる点が指摘されている3

2. 「起業国家」論

イスラエルの「起業国家」をみる場合、基本的にITあるいはICTに関連した業種がモデル化されものが多いが、今日ハイテク企業とされるものは3000社を超えていると見られる。イスラエルのハイテク起業の発展期はグローバルなIT産業発展におけるハードからソフトへの重点移行期と重なっている。それは米国を中心に国際的にインターネット時代に入ってからほぼ10年経過した1990年代半ばの時期に当たる。さらに米国でのIT関連株式のバブルと2000年のその崩壊とも重なっているが、イスラエルは影響を受けたがそれは比較的軽微なものにとどまった。さらに「冷戦」の終焉と東欧・ソ連における体制転換という激動は、イスラエルにとっても多面的な影響を及ぼした。何よりも旧ソ連圏からの100万人という大量移民流入が1990年前後に起きたことは労働市場に大きな影響を及ぼした。この規模は当時のイスラエル人口の5分の1に相当したが、移民の3分の2はユダヤ系で、その移民のなかには高学歴者が多く、その質の高い労働力はイスラエルのハイテク産業にとってプラス要因として働いた。旧ソ連圏からの移民を吸収するための住宅需要と消費需要を生み出した。またユダヤ系移民が有する旧ソ連圏各共和国との人的・経済的コネクションはイスラエルとこれら諸国との貿易面での新たな機会を生み出した。イスラエルにおいて事実上ロシア語が第2言語であるかのような状況を生んだ。また当時結ばれたオスロ合意(1993年)は一時的であれ、イスラエル・パレスチナ間の新たな相互経済関係の発展に期待を抱かせた。

(1) イスラエルとインテル

それでは、米国を中心とするコンピューター・テクノロジーの国際的発展のなかで、イスラエルがどのような形で参入していったかを見ておきたい。

イスラエルにおけるIT産業の発展を見る上で、注目されることは極めて早い段階で一部の米国のグローバルな先駆的企業が資本進出していることである。これが注目される理由はイスラエルの置かれた地政学的リスクという一般的なイメージとのギャップが大きいからである。イスラエルの「安全」に対する米国のコミットメントの深さと長期性に対する信頼がなければ決断しにくい投資案件であろう。

インテルがイスラエルのハイファに5人の従業員で拠点を持ったのは第4次中東戦争直後の1974年4月であった。初期投資額は30万ドルであったが、IBMの最初のパソコンのチップの考案に貢献している4。その後、南部のキリヤト・ガートに35億ドルを投資してチップ製造工場を設立した。本社はチップ8088のすべてではないがイスラエルでの製造に大きく依存することになった。さらにチップ286については全面的に依存することになった。一時期のインテルでのチップの全世界での生産量の3分の2をイスラエル工場に依存し、24時間生産シフトを2系列同時に並行して実施するほどであった。インテルがイスラエルに拠点を持ってからも地域的な紛争リスクは存在しており、1991年の湾岸危機は生産維持とイスラエルの対応政策との緊張を強いられた5。今日インテル・イスラエルはイスラエルの民間企業としては最大規模の1万人以上の従業員を抱え、間接的には3万人の雇用を支えている。従業員の6割がR&D(研究開発)に従事し、他はマイクロプロセッサ―の製造に従事している。ハイファ以外に4つの開発センターを有し、2か所に生産部門を持っている。同社は今後10年で18億7000万NIS(新イスラエル・シェケル)の部品等調達に投資することを表明している6。インテルは、その後のIBM、テキサス・インストルメントなどのイスラエル進出に大きな刺激を与えた。

(2) コンピューター・テクノロジーの発展段階と現在の課題

コンピューター・テクノロジーの発展段階は、大概以下の7つの波に分類し得るであろう。第1の波は、1950年代後半から1970年代でメインフレームとミニコンピューター時代である。IBMとGEなどが中心的役割を果たした。第2の波は、1990年代に至る時期で、OS(オペレーション・システム)とデスクトップ用のソフトが中心であり、マイクロソフトの圧倒的優位性とオラクル社などの役割が顕著であった。パソコンの普及とソフトウェア開発の産業としての確立期として位置づけられる。第3の波は、ウェブ1.0でインターネットの本格的普及とアマゾンやグーグルの躍進である。第4の波は、ウェブ2.0で、「クラウド」とモバイル・コンピューティングである。アップルのiPhone、グーグルの「アンドロイド」、アマゾンのクラウドAWSとフェースブックが主役である。第5の波は、ビッグ・データの拡大に処理分析能力を対応させるもので、2006年の登場した「アパッシュ・ハドゥーブ」に代表され、それは無料かつオープンソースのソフトウェア・フレームワークである。第6の波は、IoT(Internet of Things:あらゆるもののデータ化とそのデータのインターネットへの連結)とスマート・マシンである。スマート・マシンとは、「自律的に行動し、知能と自己学習機能を備え、状況に応じて自らが判断し適応し、これまで人間しかできないと思われていた作業を実行する新しい電子機械」のことを指す。今後の第7の波はそれに続くAI(人工知能)である。イスラエルの「起業」論が対象とするのは主として第3の波以降ということができよう。

(3) 「起業国家」論の論点を巡って

上記ダン・セノール等著のイスラエル「起業国家」論は、多面的にその成功の「秘密」あるいは「奇跡」を検討している一般向けの書籍である。イスラエルのGDPに占める研究開発費や企業化率・特許数が人口比で世界最大と言われるなかで、特に注目される指摘は以下の点であろう。

第1に、「起業」を成功させた要因で強調されているのは、イスラエルの独自の文化的環境である。その文化的環境を支えてきたのは建国の背景とそのイデオロギーであるシオニズムとならんで、イスラエル国防軍(IDF)にすべての市民(パレスチナ系あるいはユダヤ教正統派などの例外はある)が長期の徴兵と予備役制度に動員されていて経験を共有する期間が長く、そこで生まれるネットワークが重要な条件として指摘されている。

例えば、ヒエラルキーを気にせずに議論・意見交換ができる文化的土壌の重要性が強調されているが、その土壌はIDF内のエリート抜擢システムや人間関係が生み出したものとされている。その文化を支えてきたのが単に徴兵期間の長さだけではないことを、シンガポールや韓国の事例を比較しながら指摘している。つまりアジアのこれらの国ではヒエラルキー意識が強く、自由な意見交換の場を抑制しているというのである。第2に、常に「実験」あるいは「実証」を厭わないチャレンジ精神が創造性を支える知的環境をつくっている。これがIDF内での作戦の自由な総括議論の存在と結び付けている。第3に、目的意識を明確に持つ重要性であり、そこでは全世界のユダヤ人が安心して住めるイスラエルを守るというシオニズム国家の論理が主張されている。第4に、人的資源の豊かさであるが、教育制度と教育の内容に付け加えて、1990年前後の旧ソ連圏からの約100万人(技術者を含む)の大量移民の流入とイスラエルのIT関連起業ブームと重なった点が注目されている。第5に、国の指導によるハイテク開発関連の制度設計である。

第2に、ハイテク産業のイスラエル立地を巡る、「安全保障」と「経済合理性」のパラドックスに関するものである。通常、安全保障上のリスクが高いと見られている地域や国に対して投資家、特に海外の投資家が消極的であることは当然である。インテルを初め、先進的ハイテク企業がイスラエルに進出したのはなぜであろうか。これに対して、著名な米国人投資家バフェットの対イスラエル投資のケースを挙げて、高いリスク以上に魅力的な人材確保と、ハイテク投資の妙味は、相対的にインフラ投資は少ない一方、人材の地理的移動可能性の容易さの利点を挙げている7。しかし、それにもかかわらず、「安全保障」上のリスクは湾岸戦争でも示されたように、投資あるいは進出への強い抑制要因であることはいうまでもない。本書は明示的に論じてはいないが、イスラエルの「安全保障」を内外で保証する内外政策のメカニズムの分析で補うほかはなく、それは半ば独自の研究課題に属すると思われる。

3. イスラエルの技術産業発展と安全保障環境

(1) 技術発展と産業

経済発展を分析するには、その技術的発展の軌跡の特徴・独自性を見ることが重要である。イスラエルの場合は特に、技術発展が単に技術自体が有する内在的論理で展開されるだけではなく、それを支える需要と市場、さらに安全保障環境との相互関係によって強く規制されるからである。それは建国後のそれほど時間が経過しない段階から軍事戦略問題の視点として意識されている。イスラエルは周辺アラブ諸国と数次にわたる戦争、さらに1967年以降はパレスチナ占領地統治とそれに伴うパレスチナ人の抵抗に対する対抗措置が、軍需産業の発展のありかたを大きく規定してきた側面は否定できない。正規戦を想定した兵器開発が重視されたことは当然であるが、それ以外に非正規戦(ゲリラ戦)への対応のなかで、その積み重ねられた経験が製造兵器の販売において有利な点として意識されるようになったのである。つまりイスラエルでは『非対称戦争』の経験の蓄積が兵器産業の発展のありかたに一定の独自性を付与するようになった。また武器の売却にはしばしば使用法の訓練・教育を伴うことがある。それが事実上ここの作戦指導から戦術・戦略面での協力にまで拡大・発展することがあっても不思議ではない。その場合、それ自身が兵器販売の際の有利な条件となる。さらに退役軍人などによって設立される民間軍事会社などは一層作戦に直接関わり、戦争のビジネス化が進行するという意味では新たな課題と問題を生じさせる。

(2) 軍需産業の発展

イスラエルは最新鋭兵器に関する関心は当然強かったが、特に1967年6月のフランスの対イスラエル兵器売却政策の転換は戦闘機の自国生産路線を加速化させる契機となった。フランスのドゴール政権はアルジェリア政策の転換に伴い親アラブ戦略に転じ、ミラージュなどの売却計画を破棄したためである。その後、戦闘機を含む航空機産業に関連してきた国有企業としてイスラエル航空産業(Israel Aircraft Industries: IAI)はその代表的なものである8。IAIは一時期イスラエル最大の2万3千人の雇用者数を数え、現在でも1万5千人を雇用している大企業の一つである。ミラージュ戦闘機の改良によるクフィール(Kfir)戦闘機製造も知られているが、最も大きなプロジェクトは米国製エンジンを搭載したラビ(Lavi)戦闘機の開発の試みであった。このラビ開発計画は1980年から製造が試みられた米国との共同プロジェクトであったが、コスト面の制約、米議会の支出継続停止の決定もあり、紆余曲折を経た後、最終的には生産計画を放棄している。しかしこのプロジェクトはイスラエル軍やIAIにとっては貴重な技術的蓄積の機会を提供した。IAIはその後、無人航空機(UAV)生産のほか、ミサイル、エレクトロニクス、早期警戒システムの分野で実績を重ねている。よく知られている「早期警戒システム・ファルコン(Phalcon)」は正式には航空機の名称ではなく搭載しているレーダーシステムEL-2075(Phased Array L-band Conformal Radar)の略称である。それはIAIとその傘下企業であるエルク社が開発した早期警戒システムであり、アクティブ・フェイズドア レイ・Lバンドレーダーやコンフォーマル・アレイ・レーダーなどの最新技術を組み込んだもので全周囲スキャンを可能としたものである。ただしファルコン707には後部レーダーアンテナが装備されていないためスキャン範囲は機体前方260度の範囲に限られている。当システムの能力はE-3と同等以上と見られているが、その価格はE-3の3分の1程度と安価であるため、イスラエルは海外への売り込みにも積極的である。海外への売り込みではチリ空軍が1機導入している。

戦車開発ではイスラエル軍事産業(Israel Military Industries: IMI)が有名で、1978年には最初のメルカバ(Merkava)戦車を製造している。IMIが開発した第3および第3.5世代主力戦車のメルカバ戦車はシリーズとして有名になり、IDFで使用され、イスラエルの特殊な事情を色濃く反映した設計となっている。同社は装甲車両 短機関銃ウージーなどを生産している。他方、ラファエル社はロケット製造で成果を挙げている。上記3社は国有企業であり、軍需産業における指導的役割を果たしてきた。民間軍需企業としてはエルビット・システムズ社(Elbit Systems)が防衛用エレクトロニクス分野で知られており、売上高でもIMIやラファエル社を凌駕している。

なお、軍事技術などの発展には政府の育成政策が大きな影響を持つが、その研究開発(R&D)分野では、テクニオン(Technion: Israel Institute of Technology)やイスラエル・イノベーション・オーソリティーも重要である。イスラエル・イノベーション・オーソリティーは経済省チーフ・サイエンティスト局(The Office of the Chief Scientist: MATIMOP)として知られているが、イノベーション政策に関する独立組織とされている。イノベーション促進のための多面的な研究を対象としており、政府およびクネセトの関連委員会に勧告することが任務である。ハイテク技術を中心とするイノベーションのためのエコシステムの変化にも注意を払っている。

IDF(イスラエル国防軍)内部の組織として8200部隊は著名である。同部隊はサイバー・セキュリティーを担う精鋭集団として知られている。この部隊への優秀な人材のスカウトについてシステマティクな努力がなされてきたことで知られる。同部隊出身者は退役後、多くのハイテク・ベンチャー企業を生み出しており、そのなかでもチェックポイント、インパーバ、ナイス、ジラット、ウェイズ、トラスティア、ウィックスなど有力企業がある。

(3) 自然制約と農業生産技術

イスラエル産業技術で中長期的に優位性を誇ってきたのは、水不足という制約条件のなかでの農業生産引上げという課題追求のなかで生まれてきた節水技術がある。それはドリップ灌漑農法として、結実した。最少の水供給で最大の収量を挙げようとするものである。さらにキブツィムのなかには農業から農業機械を含む農工コンプレックスへ転化し、さらにその農業機械生産が輸出産業として成長したケースも少なくない。ドリップ農業技術はイスラエルが優位性を誇れる分野となった。世界に移転されており、例えば日本での合弁企業であるネタフィムジャパン9の販売商品リストを見ると、点滴チューブ、電磁弁、潅水コントローラー、フィルター、大規模ハウス・コントローラ―・システム、スプリンクラー、オンライン・ドリッパー、液肥混合装置などがある。

(4) 中東における技術と政治

ユーラシア・グループのイアン・ブレマーは「2017年の地政学リスク」の5番目に「中東と技術」を挙げている10。特定の地域、つまり中東と技術を連関させて「地政学リスク」を特掲した含意は何であろうか。ブレマーによれば、技術は経済成長と効率性を促進するが、同時に政治的不安定性を一層促進させる側面がある。例えば、米国のシェール・オイル開発が油価を低落させ、中東産油国の支配体制を経済的に弱体化させていることが挙げられる。またサイバー攻撃をできる国とそれへの対応力の弱い国との相互関係を一層不安定させる可能性である。現在サイバー攻撃の能力を持ちうるのは中東ではイスラエルとイランのみであろうとみられる、さらにサイバー攻撃をねらうテロ集団の登場の可能性を含め、さまざまな集団の技術力が政治的意味を持つようになり、さらに情報管理の国家による独占がくずれ支配層内部の情報が一般の目に触れる可能性の波及効果も指摘している。技術と安全保障の関係をより多面的に見る必要性を示していると同時に、それへの対応自体が政治問題化する局面を迎えていることも事実であろう。

4. ベンチャー企業と資本調達

「起業国家」モデルにおいて、ハイテク・ベンチャー企業の立上げとその成功には民間の自主的なイニシャチブが当然重要であるが、商品化・企業化の成否が明らかでないという点で高いリスクを伴うものである。その場合、克服すべき最大の課題の一つが資本調達であることはいうまでもない。ハイテク技術開発を企業化に結び付ける成功例が多いといわれるイスラエルでは、どのようにこの資本調達の課題を解決してきたのであろうか。そこで重要な役割を果たしたのは、米イスラエル両国政府、在外ユダヤ人コミュニティー、イスラエル・ハイテク企業、米国側のカウンターパート企業などが注目されるが、特に初期段階では政府の役割に注目すべきであろう。

(1) ヨズマ・プロジェクト前

この資本調達の課題への対応は、4段階に分けて考察することが可能である。1980年代には国内でのベンチャー資本自体の不足があったが、当時それを支援する制度は二つあった。一つは政府であるチーフ・サイエンティスト・オフィス(CSO)の審査を経た上で融資を獲得することであった。しかし、その融資額は必要とされる初期投資額に相当する範囲のもので、製品のマーケッティングなどのフォローアップ資本は対象とならず、そのこともあって、多くのプロジェクトが失敗した。ハイテク・ベンチャー企業にとってイスラエル国内市場は通常規模としては不十分で、当初から海外市場あるいはグローバルな市場を対象として起業を考えざるを得ない。その意味でマーケッティングのノウハウが不可欠なのである。

この問題を解決しようとして登場したのがBIRD助成金プロジェクト(Binational Industrial Research and Development: 2国間R&D)で、1976年に創設されていたが活動を事実上開始したのはタイコ・インターナショナル社副社長のエド・ムラスキーが米商務省科学技術担当副長官の説得によってこのプロジェクトに専念した1978年以降である。米・イスラエル政府が当初1億1000万ドルの資金を拠出したものであるが、イスラエル政府のみならず米政府の積極的関与が注目に値する。ムラスキーは技術を有するイスラエル企業と米国市場への販売ノウハウを有する米国企業の間を取り持つ役割を果たした。対象となった米国企業は中規模でR&D投資のための余裕を持っていない場合が多かった。イスラエル企業と米国企業に対して、このプロジェクトのためそれぞれ必要とする資金の半額を助成した。貸付額は一件当たり50万ドルから100万ドルであった。最終的には2億5000万ドルが780件のプロジェクトに融資され、この中から1990年代に入って米NASDAQでIPOにこぎ着けた多くの新興企業が生まれた。BIRDは証券市場から資本を調達できない企業にとって米国市場への最短ルートを切り開く役割を果たした。

(2) 「ヨズマ」プロジェクトからVC(ベンチャー・キャピタル・ファンド)へ

このようなプロセスを経ながら、第3段階を画したのは1992年にイスラエル財務省の発案で生まれたベンチャー・キャピタル・ファンドとしてのヨズマ(Yozma: イニシャチブ)である。リスクの大きい新技術の初期段階への投資に対応しようとしたのが、ベンチャー・キャピタル(VC)である。ベンチャー・キャピタル(VC)とは、将来性はあるものの、まだ経営基盤が弱く、普通の金融機関ではリスクが大きく融資しにくいベンチャー企業に対し、株式の取得などを通じて投資する企業である。ベンチャー企業の資金調達ニーズとVCのニーズが合致すれば、後者による前者への投資が行われ、それは無担保で返済義務のないリスクマネーとなっている。その対価としてVCはベンチャー企業の株式を取得し、もし投資先事業が成功し、株式公開した場合、VCは通常、その株式を売却してキャピタルゲインを得ることによって利益を上げることを目的とする。

ヨズマにより1億ドルの政府投資が行われ、10のVCが創設され、それぞれのVCにはトレーニング中のイスラエルのVC、外資系VC、イスラエルの都市銀行または他の銀行の3者が関わることになった。イスラエル新規技術に投資するとした場合、イスラエル側パートナーが1.5の資本を調達できた場合、政府は1に対応する資金を供与するメカニズムである。自己調達1200万ドルに対して800万ドルの政府支援である。その後、外資系VCにとっての魅力は、当初それぞれのVCの株式の40%は政府が保有するが、5年間経過して、もしファンドが成功すれば、他のパートナーはその政府保有株式を廉価で買い取ることができるというものである。リスクはイスラエル政府が負い、その利益はパートナー達が取得し得るというものである。これは政府の参入と退出がビルトインされているプログラムである。最初の事例は投資銀行であるディスカウント・イスラエル・コーポレーションと米ボストンのVCでBIRDを育て上げたエド・ムラスキーが創設したアドベント・ベンチャー・パートナーであり、成功例をつくった。

第4段階は、民間資本および外資によるVCの発展であり、今日のVCを代表する。さらにBIRDおよびヨズマによって発展した企業が米NASDAQ市場でIPOを通じて株式の公開、あるいは増資を行う段階であり、また外資企業によるイスラエル・ハイテク企業のM&Aが必ずしも珍しくなくなってきている段階である。いずれにしても、イスラエルのハイテク産業の触媒となったVC自体が、イスラエル政府および米政府の積極的なイニシャチブでもって設立されてきたことは留意すべき点である。また諜報組織であるモサドも、ハイテクの起業向けのファンドの設立計画を有しており、諜報機関とビジネス界を結び付けるメカニズム構築を計画している

5. 米国の軍事経済援助の趨勢とその特徴

以上で政府・米国のイニシャチブによる民間ハイテク産業の育成政策に言及したが、同時に米国政府の多額の対イスラエル軍事援助が同国の経済のみならず、その軍需産業を一面で支えてきたことはいうまでもない。イスラエルは米国の援助の最大の受益国である。米国の対イスラエル援助は当初有償無償の軍事援助と経済援助から構成されていたが、キャンプデービド合意を受けて1981年以降は全額無償援助となった。1985年以降はほぼ経済援助12億ドル,軍事援助18億ドルを維持した。その後イスラエルの提案を踏まえて,1999年以降は米の経済援助は毎年1.2億ドルずつ減額され10年間でゼロにすることとなった。しかし経済援助の削減分の半額は軍事援助の増額分として振り分けられることとなった。2008年に経済援助はゼロとなり全額軍事援助となったが、その後毎年約30億ドルの軍事援助が2018年まで供与されることになった。2009年以降、米国の対イスラエル援助が軍事援助のみとなったが、毎年30億ドルの無償援助は米国の一国当たりの援助額では最大規模となっている。2016年9月14日に、米・イスラエルは覚書を交換し、10年間にわたり約380億ドルに及ぶ軍事援助供与に合意した。これは2018年に終了する10年間にわたる300億ドルの援助に続くものである。これは中東和平問題、イラン核合意を巡って摩擦が深刻化していた米イスラエル関係にもかかわらず、秘密交渉の結果合意されたものである。これは軍事援助において従来にプラスした大幅な増額を示すものである。

米国の対イスラエル軍事援助は二つの特徴を持っている。一つは援助全額が年初に供与されることである。これは軍事援助をその後1年かけて金融市場で運用することが可能であることを意味する。運用の仕方では増加させることも不可能ではない。もう一つは米国製兵器を購入することに限定されておらず一定の枠内(4分の1)でイスラエル製兵器を購入することが認められている。これはイスラエルの軍需産業に対する市場確保を通じる補助金であることを意味する。

さらに米国とイスラエルの間の軍事面での協力では、上記のラビ戦闘機開発プロジェクト、さらに2007年に始められた鉄のドーム(Iron Dome)と言われる防空システム開発プロジェクトのような共同プロジェクトも存在する。防空システムはラファエル社とIDFの共同開発プロジェクトであるが、米国政府も共同開発に参加している。軍事面の開発に関しても米国とイスラエルの関係は緊密である。

6. 現段階の戦略的産業

現段階のイスラエルの産業発展において注目すべき方向性を示すものを例示的に示しておきたい。

(1) 製薬・バイオ

イスラエルの新興企業は製薬業界でひしめいている。製薬業は多面的な科学・技術の集合体であり、多様な産業発展の源泉ともなり得る業種である。ワイツマン研究所(Weizman Institute of Science)は当初から研究成果の実用化・商業化を意識していた意味でイスラエルでの先駆的な研究所の一つであり、1959年に「Yeda(知識)」プロジェクトを設立して研究成果を基礎とする製薬業の商業化に乗り出した。同研究所は医療器具・薬品など数千に及ぶ製品の商業生産化の分野で成功し、2006年には研究所としてロイヤリティ収入が世界トップとなった11。またヘブライ大学では研究成果の商品化のためのYissum(実行)プロジェクトを立ち上げており、2007年時点での5500の特許と1600の発明を登録、そのうち3分の2がバイオ関連となっており、バイオへの関心の深さが注目される12。Yissumの顧客はジョンソン・アンド・ジョンソン、ネスレ、Lucent Technologies などの多国籍企業を含んでいる。

他方、研究開発ではなく特許切れ薬品を対象とする民間企業の成功例はTEVA製薬会社であり、売上高で世界最大のジェネリック薬品会社として医療産業総合企業となっている。海外進出にも意欲的で、日本では2016年4月1日に「武田テバ」会社が、武田薬品工業株式会社とテバファーマスーティカル・インダストリーズ・リミテッドの合弁会社として発足している13

新たな試みとして注目されるのは医療用にマリファナを利用して、それを輸出産業として育成しようとする試みである14。「新規起業」のひとつであるSyqe医療会社は、精密に吸入量を計測する吸入器を開発しており、既に1年半ハイファの病院で鎮痛剤使用に際して実用に供している。上記TEVAは同社と販売契約を結んだ。このマリファナ使用の薬品はヘブライ大学での研究成果である。2017年初頭、イスラエルにはマリファナ関連薬品企業が既に50社を数えている。有力企業にはBreath of Life(BOL)製薬会社やKalytera社などがある。BOL社はエルサレムにマリファナ精製工場を欧州などの企業の実験用に供する予定である。マリファナ使用の臨床実験の蓄積データが豊富な点でイスラエルは世界でトップレベルにある。鎮痛剤から始まってアルツハイマーやトゥーレット症候群などの治療に有益であるとする見方もある。米国ではマリファナ医療の人体実験は禁止されており、その意味ではイスラエルは法的規制が緩いことで有利な立場に立っている。

すでにカンナビスに関連した起業のための資本調達に向けてすでに3社の民間ファンドが設立された。ベンチャー・ファンドで技術関連起業支援センターでもありiCAN社の最高経営責任者のサウル・カイイェによると、すでにイスラエルの36企業がカンナビスの医療研究を行っている。巨大な多国籍たばこ会社がイスラエルの技術に関心を示しており、フィリップ・モリス社の株主であるアルトリア・グループはすでに2014年にタバコ・メーカーであるイスラエルのグリーン・スモーク社を1億1000万ドルで買収しており、2016年初頭にはマリファナ吸引器を開発しているサイケ・メディカル(Syke Medical)に2000万ドルを投資した。今後ネゲブ砂漠でカンナビスが栽培される可能性が指摘されている。

イスラエル政府はマリファナ関連薬品の輸出の合法化に動き出しており、それはバイオテクノロジーと農業の多様な発展を結び付ける経済的にも戦略的な意味を持つ事業と位置付けている。なお、イスラエル以外にすでにコロンビアでカナダのPharma-Cielo社が薬品用としてマリファナを買い付ける計画が進められており、そのためのケシ栽培は合法化されている15

バイオテクノロジーの発展の可能性であるが、米国の2012年のGDPに占めるバイオテク産業は2%を超えたとされ、それは鉱業(0.9%)、コンピューター・電子部品製造(1.6%)の比重を上回る16。バイオテクは大雑把に分けると、バイオ医薬品、遺伝子組み換え穀物、工業バイオテク(燃料、酵素、材料など)に3分される。ビッグ・データの収集・処理・解析の急激な発展は、医療・薬品・バイオ産業の発展にとって有利な条件となっている。シリコン・バレーが医療あるいはバイオテク分野への投資に関心を強めてきたのは、ITと結合させたこの分野の成長可能性に対する期待がある。グーグルの親企業が欧州バイオテク・グループに投資する新たなファンドMedicxi Growth 1に大々的投資を始めたのはそのためであろう17

(2) 光学機器と自動運転関連

米国のチップ・メーカーのインテルは2017年3月に、イスラエルのセンサー・メーカーであるモビリエ(Mobiliye)社を153億ドル(1兆5000億円強)の巨額を投じて買収することに合意したと発表した18。これは外国企業によるイスラエル企業の買収額として史上最大である。時価総額の34%アップという買収額で、インテルにとっても創立以来2番目の買収規模である。なお、モビリエ社は1999年に創業され、エルサレムを操業の拠点としているが、同社の株式は米国市場に上場されている。モビリエ社は視覚に依拠する安全システム・メーカーで、自動車にカメラと”Eye Q”チップを取り付け、歩行者、車両・信号を識別できるシステムを開発している。同社の強みはハードとソフト双方に関与していることである19。インテルはモビリエのカメラと同社のXeonプロセッサー、5Gワイヤレス・モデムなどの技術を組み合わせて、自動車からクラウドまで結びつけるシステムを構築すると語っている。インテルにとって相対的に縮小するプロセッサー部門から、UAVs(ドローン)、スマート時計、バーチャル・リアリティー、データセンター分野へと転身を図る戦略の一環と位置付けている。Tesla、Uber、Alphabet’s Waymo 社は自動運転技術分野で先行しており、インテルはこれにモビリエの買収によって追いつこうとしていると見られる。

(3) UAVs(ドローン)

UAVはUnmanned aerial vehicleの略称で無人航空機、いわゆるドローンである。 IAI ヘロン(Machatz-1)はIAIのマラト部が開発したUAVで52時間飛行し続けることが可能である。2008-2009年のガザ空爆作戦でIAI製のUAVヘロン(Heron)が初めて実戦に使用された。その際、UAVヘロンとヘリと戦闘機の連携作戦が、空軍の中央指令部ではなく、陸上部隊の直接指令下に置かれ、常時12機のUAVがガザ上空を飛行していた。実戦経験を背景としてイスラエルのUAVsは英国など欧州、インド、ブラジルなどでの輸出需要が大きく、今後とも国際的に市場は拡大していくものと見られている。

(4) サイバー攻撃とその対応策

サイバー攻撃は特定のコンピューター・システムをインターネット経由で破壊することであるが、企業秘密の流出だけではなく、軍事的にはコンピューター依存システムを破壊する上で、従来以上に重要な戦争手段になり得る。2010年に発見されたウィルス「スタックスネット」は、米国とイスラエルがイランのウラン濃縮計画を阻止するために開発されたと見られている。「阻止するには及ばず、多少妨害できた程度だ」という見方もあるが、一つの事例である20。サイバー攻撃に対してはウィルスの侵入を阻止するための対策が重要であるが、ハイテク分野の成長領域であり、イスラエルが重視していることは間違いない。ちなみに2016年2月1日、2015年に続き、テルアビブで国際的なサイバー攻撃対策の大規模見本市「サイバーテック」が開催され、日本企業は大日本印刷やNECアメリカなど8社が出展した。日本の岸田外相とカハロン財務相は日本・イスラエル両国間の投資協定に調印したが、軍事にも関連したこのような分野への関心が背景にあることは間違いない。

7. 貿易構造の変化と経済・政治のリンケージ

イスラエルは1960年代から70年代にかけてEU諸国との間で自由貿易協定(FTA)を締結した。さらに1985年に米国との間で締結されたFTAは、対米輸出拡大で重要な役割を果たした。イスラエルの貿易相手国の過半は欧米であるという構造は変わらなかったが、1990年代になるとこれ以外の国との間で輸入割当の廃止と関税引き下げが進み始めた。1991年には非関税障壁の撤廃とそれを関税で代替するプログラムが導入されている。1997年に中東地域のトルコとの間でFTAが調印された。

このような変化を背景に、20世紀末から21世紀にかけて特に注目されるイスラエルの対外経済関係の変化は、第1に多角化が進んでいること。第2に、米欧優位構造は続いていること、第3に、周辺アラブ地域との貿易関係は未発達でパレスチナ自治地域、エジプト、ヨルダンなどに限定されていること、第4に、中国、インド、トルコ、ロシアなどのいわゆるBRICS諸国やトルコのような新興経済圏との間の貿易が急増傾向にあることである。1997年のこれら4カ国からの輸入は10億ドルで総輸入額の3.5%であったが、2000年には22億ドルで6.3%、2008年には87億ドルで13.4%に達した。輸出で見ると、1997年は9億110万ドルで総輸出額の4%、2000年には14億ドルで4.4%、2008年は40~60億ドルで9.8%に達した。この比率は小さいようであるが、伸び率は加速化している。

表 イスラエルの仕向け地別輸出額(同比率) 10位まで(2014年)

(出所)IMF 貿易統計

2014年の輸出先上位10カ国をみておこう21。輸出額を見ると、ロシアを除く中国、トルコ、インドの3か国だけで総額に占める比率が20%を超えており、欧州主要国全体に接近している。なお同年のイスラエルの対ロシア輸出は11.4億ドルであった22。つまり、仕向け地先としての中国、インド、ロシア、トルコ市場は、米国、欧州と並ぶ規模にまで肥大化してきたのである。さらに貿易経済関係において、これら諸国ではとりわけイスラエルの兵器や軍事に繋がるハイテク関連機器や技術に強い関心が示されている点が特徴的である。以下、インド、ロシア、中国の事例について紹介したい。

(1) インドの事例

インドは世界最大の武器輸入国の一つであるが、2015年の全世界の武器輸入総額の15%を占めてトップの座となっている。ちなみに同年の第2位がサウジアラビアで7%と、約半分となっている。過去20年間インドはイスラエル製兵器の主要輸入国となっており、ここ数年は10億ドル以上のイスラエル兵器を毎年輸入しており、最大の輸入国の一つである。インドが輸入しているイスラエル兵器はミサイル、UAVと兵器システムであるまた2016年11月に訪印したイスラエルのリブリン大統領とモディ首相の間で両国が兵器の共同生産に進むことで合意されており、単なる貿易関係に限定されていない。さらに2004年にイスラエル・ロシア・インド3国間取引が合意されており、それによるとイスラエルはインド空軍に11億ドルのEL/W-2090レーダーを供与するとともに、ロシアはそれをイリューシンⅡ-76 プラットフォームにセットすることを可能にするものとされる。

イスラエル・ロシア間の兵器・ハイテク分野での協力が新たな段階とする方向性が打ち出されたのは、2017年7月4日に始まるモディ・インド首相のイスラエル訪問であった。これはインド首相のイスラエルへの初めての訪問であったこと、兵器・ハイテク分野での協力にサイバー対策まで高めたこと、インドの対中東政策の大幅な転換を示すという点で画期的なものであった。モディ首相がパレスチナ自治政府訪問のプログラムを持たなかったこと、イスラエル・パレスチナ2国家論、和平交渉の再開に言及しなったことは、インドが現イスラエル政府の対パレスチナ政策に大きく歩み寄ったことを示すものであった。米トランプ大統領の6月末のイスラエル訪問に際して、パレスチナ自治政府を訪問して、パレスチナ側に一定の配慮を見せている。今回のインド首相のイスラエル訪問は、パレスチナ問題に対してトランプ米大統領の配慮以下であり、またPLOとの関係を重視してきたインドの伝統的な中東政策と対比させると、従来のインドの中東政策との落差を印象付けるものであった。しかし、この変化はインドが一方的にイスラエルに配慮しただけではなく、モディ政権を支えるBJP(インド人民党)の路線も大きく影響している。BJPはヒンドゥー民族主義を底流に有する政党で、1990年代以降イスラエルのシオニズムに対する親近感を明示的に示すようになっていた。さらにイスラーム世界に対する警戒心を共有する点で両国の接近の条件は強まっていた。

今回インド・イスラエル両国は、水、農業、宇宙開発、科学技術、軍事協力の分野で一連の協定が締結されたが、特にサイバー攻撃に対する協力で合意されたことは重要な意味を持った。サイバー分野で協力する相手国を限定してきたイスラエルがインドに対してその門戸を開いたことは、両国の戦略的協力関係の格上げを示唆するものであった23。さらにインドはIAIと25億ドル規模の商談を成立させたが、1件の商談としてはイスラエル史上最大の規模のものである。

(2) ロシアとの事例

ロシアとイスラエルとの間の兵器関係での協力が目立つようになるのは2009年以降であり、ロシアが特に注目したのはイスラエル製無人機(ドローン)である。2009年4月に、 Bird Eye-400, I-View Mk150を8基、Searcher Mk.2 UAVsを2基購入したが、その総額は5300万ドルといわれる。同年末にはさらに36基のドローンを追加購入し総額1億ドルであった。2010年に4億ドルでドローン購入した。2012年にはロシアでイスラエル・ドローンのアセンブリー生産が始まっている。これはロシア軍の使用に供するものである。2015年9月にもロシア軍はイスラエルから3億ドルのドローン購入している。なお、2010年9月6日、ロシア・イスラエルは5年間の軍事協定を結んでいるのも注目される。ロシアとイスラエルは対シリア政策では異なった政策を追求しているが、兵器を巡る貿易・協力関係は急速に進展していると見られる。

(3) 中国との事例

イスラエルと中国の間の軍事協力はすでに1980年代に始まっていたと言われる。中国は米国・ソ連(ロシア)から入手できない兵器と技術をイスラエルに求めていた。今までイスラエルは約40億ドルの武器を中国に売却していたという推計もある。イスラエルは1990年代にミサイル、レーザー、航空機技術を中国に移転していると見られる。米国はイスラエルによる中国へのファルコン(Phalcon)早期警戒システムの売却を停止させている。1999年以降中国軍高官のイスラエルへの公式訪問が行われており、1999年にはイスラエル・ロシア共同生産の軍用機10億ドルの購入を決めている。2012年には中国海軍の艦艇がハイファ港に友好訪問している。イスラエルは台湾との協力関係も中国に配慮しつつ制限している。パレスチナ問題などに対する政策は異なるが、兵器とハイテク貿易、軍部の相互交流などは着実に進展していると見られる。

(4) 兵器貿易・ハイテク協力

イスラエルの兵器輸出、ハイテク分野での協力の実態は実際上、正確な情報の入手は容易ではない。しかし兵器輸出は、イスラエルにとっては相手国の政治の対外政策に影響を与える意味を持つ。米国からの一定の外交的自立性を強化する余地も与えると見られる。同時に問題なのは、イスラエルが兵器やハイテク製品の輸出先としているインド・ロシア・中国との相互関係である。特に対中国・インド関係では安全保障や防衛問題では厳しい対立を孕んでいる。インド側の懸念はイスラエルが中国に売却しようとしている兵器のことであり、イスラエルが最新兵器をインドのみに売却するよう求めている。また中国やロシアに対するハイテク技術の移転は、米国の対中露戦略とも抵触する可能性がある。イスラエルがこのような複雑な関係に対応しつつ、かつ輸出市場を拡大するということは、全体としての外交政策と経済産業政策の絡み合いということでもある。兵器輸出は非常にしばしば、その使用法のトレーニングを伴い、さらに進むと実践上の作戦策定にまで入り込む可能性を否定できないという問題点を抱えている。

終わりに

イスラエルの産業発展における特徴として以下の点が指摘できよう。第1に兵器・ハイテク関連製品の輸出が次第に重要性を高め、イスラエル経済の牽引力としてビルトインされたことである。これらの産業発展において安全保障・国防政策およびイスラエル国防軍(IDF)の戦略とその経験が極めて重要な役割を果たしてきたことは否定できない。民間のハイテク産業の発展にしても軍事技術開発の過程で生まれた技術の転用と重なる場合が少なくない。イスラエルの安全保障政策の重点と課題とその変化、具体的には「安全保障上の脅威認識」の変化が、限られた資源を前提とする一定の「選択と集中」に迫られることは当然である。執筆者の限界から、ここでこの課題に触れることはできないが、経済政策面から指摘し得ることは、新自由主義とはいっても安全保障戦略を通じる特定の産業発展の志向性を与える、いわゆる「産業政策」が存在してきたことである。日本が第2次大戦後とった「産業政策」とは具体的なプロセスは異なるが、政府の指導性が発揮されたという意味での「産業政策」が今日のイスラエルで生きているといってよい。第2に、多額の米国の軍事援助がイスラエル製の最新兵器の市場確保の意味を持ち、さらに特定の戦略的開発プロジェクトにおいてイスラエル・米国の共同投資が果たした役割も小さくないことである。これはイスラエルの軍事産業に有益であったが、同時に共同開発と通じて米軍需産業にも裨益するメカニズムにもなっている。第3に、インテルなどの国際的ハイテク産業がイスラエルに生産拠点を持ったことである。これは通常の民間資本の投資戦略決定に必ずしも合致しないリスクの多い立地政策であるが、この決断を促したものは、単純な経済だけではない政治的戦略的意図の影響の可能性も否定できないという多様な要因を考慮する必要がある。第4に、イスラエル政府機関が研究開発(R&D)、基礎研究などの分野で重要な役割を果たし、さらにベンチャー・キャピタル(VC)の育成にも政府および米国が支援を行い、それが民間および外資によるVCの発展を促したことである。政府の手厚い政策が「触媒」機能を果たしていることが注目される。今日、イスラエルのハイテク企業のIPO(株式公開)は米国NASDAQなどで行われている一方、製薬業などの多国籍企業も生まれている。またイスラエル企業を対象としたM&Aも珍しくなくなるなど、グローバル化が進展している。第5に、このプロセスは軍とは必ずしも直結しない民間の新興企業家も生み出す条件となっており、中長期的にはイスラエルの政治社会エリートの変動を生み出していく可能性をもっていることである。第6に、イスラエルの輸出構造のハイテク化に伴い、欧米以外のインド・中国・ロシア・トルコなどへのハイテク技術あるいはハイテク兵器の輸出の比重が次第に高まったことである。イスラエルのハイテク輸出市場は米国・欧州および新興経済圏(インド・中国・ロシア)でほぼ3分されている。後者の地域については政経分離を前提にしつつも、軍・安全保障分野での交流が深まる契機となっている。それはインドなどの中東政策にも影響を与える程の意味を持ち始めている。同時に相互に対立する国々をイスラエルが兵器販売市場とする場合の関与のありかたは、技術移転を含め、複雑な問題を提起する可能性がある。第7に、今後のイスラエル産業の発展方向は、グローバルな市場を対象にしつつ米国などの先端技術分野との協力を深めるとともに、独自のニッチ分野を模索するだろうということである。具体的には、バイオとも関連した製薬業、光学の自動運転を含む多面的応用、サイバー攻撃対応、IoT, AIへの参加などであろう。さらにビットコインなどの仮想通貨の発展、フィンテック(金融とハイテクの結合)の分野でのイスラエルの今後の関与も注目される。しかしイスラエル経済が先進国型になりつつあるとはいえ、米国を超える高度成長を実現することは必ずしも容易ではないと思われる。それはグローバル市場の発展のテンポに制約されるようになっているからである。また航空機産業のIAI, ジェネリック製薬会社のTEVAの企業経営が常に順調であるわけではない。第8に、本論では触れなかったが、沖合で発見された天然ガス田は今後エネルギー制約から逃れ得る可能性を与えており、これがイスラエル経済に与える影響は大きいと思われることである。第9に、アラブ中東世界においてイスラエルの産業発展と起業に対する関心が高まっていることである。しかし、政治的問題は別にしても、イスラエル・モデルの他地域での導入は容易ではないであろう。それは上記で述べたような米国との特殊関係などの様々な条件を一般的には享受し得ないからでもある。さらに文化的社会的背景の相違も決して無視できない大きな要因として存在しているからである。しかしパレスチナ自治区やヨルダン経済などへのイスラエルの産業構造の変化の影響は政治的側面を含め今後注目される課題であると思われる。

本文の注
1  Dan Senor & Saul Singer, Start-Up Nation The Story of Israel’s Economic Miracles, Hachette Book Group, New York, 2009. 本書の著者であるDan Senorは米国の外交関係評議会(Council on Foreign Relations)での中東研究フェローで米政府の外交顧問を務める。イラク戦争で文官として長期に現地に駐在するとともに、カタールにある中央軍でペンタゴンの顧問も務めた。Saul Singerはイスラエルの『エルサレム・ポスト』紙のコラムニスト・社説担当などを歴任している。1994年にイスラエルに移住する前は、米下院で外交顧問、上院銀行委員会での顧問を歴任している。二人の著者は経済のみならず、軍事外交への関与が長い点に特徴を有している。

2  インテル創業者の一人であるゴードン・ムーアが主張したもので、当初毎年倍増するとしていたが、その後2年毎に修正された。

3  Dan Senor & Saul Singer, op.cit., pp.235-260.

4  Ibid., p.187.

5  Ibid., pp.38-48.

7  Dan Senor & Saul Singer, op.cit., pp.178-194.

8  その前身はBedek(航空機補修会社)で、第二次大戦の余剰航空機の修理事業から発足している。

9  http://www.netafim.co.jp/, Accessed Sep. 10, 2017.

11  Dan Senor & Saul Singer, op.cit., p.256.

12  Ibid., p.256.

13  ジェネリック医薬品を取り扱う「武田テバファーマ株式会社」と武田薬品から継承した長期収載品を取り扱う武田テバ薬品株式会社の2社で構成されている。「武田テバファーマ」の持ち株比率はテバ・ホールディングスが51%で武田薬品が49%となっている。

14  The Financial Times, Feb.17, 2017.

15  The New York Times, March 11-12, 2017.

16  英『エコノミスト』編集部(土方奈美訳)『2050年の技術』文藝春秋、2017年、134ページ。

17  The Financial Times, June 15, 2017.

18  The Financial Times, March 14, 2017.

19  The Financial Times, March 15, 2017,

20  英『エコノミスト』編集部、241ページ。

23  “The Hindu”, July 7, 2017

 
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