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論稿
スィースィー政権はエジプトに持続的成長をもたらすか
土屋 一樹
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2018 年 5 巻 p. 94-108

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抄録

Although Egypt has seen improved political stability and public order under the Sisi administration, the economy remains stagnant. The average economic growth rate during the first three years of Sisi’s presidency was 4.5 percent. More recently, Egyptians have suffered the highest inflation rates in decades due to the devaluation of the currency in November 2016. Will the bold economic reforms of 2016 lead to sustained economic growth for Egypt? This article argues the probability of reduced long-term economic growth prospects under the Sisi regime’s governance and economic policies.

The Sisi administration has pursued a policy of social stability by restoring authoritarianism. The government has restricted citizens’ freedom of assembly, association, and expression through newly legislated undemocratic laws. As for the economic policy, its three main pillars include stabilizing the macro-economy, upgrading the social security program, and implementing ambitious infrastructure projects. While these policies are based on the standard market economy model, the military is now playing a critical role in economic activity more than ever before. That is, the Sisi regime has tried to control economic as well as political activities in an autocratic manner. Excessive military intervention in economic activity deters fair market competition, and, hence, innovation. As a result, Egypt cannot be expected to achieve sustained economic growth under the Sisi regime.

はじめに

エジプト経済は、2011年「1月25日革命」によって失速した。政治と治安が混乱するなか、計2年半にわたって平均所得がマイナス成長になるなど、2011年以降の経済低迷は深刻かつ長引いた。

経済低迷要因の一つと考えられていた政治的な混乱は、2013年7月のムルスィー大統領の追放を機に鎮静化に向かった。再び政治権力を握った軍の管理下で2度目の政治移行が開始され、憲法改正(2014年1月)、大統領選挙(2014年5月)、議会選挙(2015年11~12月)が実施された。そして、2016年1月に新議会が招集されたことで政治移行は正式に完了し、エジプト政治は「正常化」した1

治安面では、現在(2017年11月)もシナイ半島北部での過激派掃討作戦は続いているが、その他の地域でのテロは散発的になっている。都市部での治安組織やコプト教会をターゲットとする爆弾テロが一掃されたわけではないが、経済活動に支障をきたす脅威にはなっていない。治安問題は、依然として懸念される要素ではあるが、その中心はシナイ半島北部で、またテロ集団の主な対象は治安組織(警察、軍、治安機関)であり、経済活動の妨害を主要な目的とするようなテロはほぼなくなった。

以上のように、第2移行期(2013年7月~2015年12月)の進展とともに、経済活動を阻害するような政治と治安の混乱は鎮まった。現在では、スィースィー政権の発足から3年半が過ぎ、政権運営も安定している。強権的な政権に対する人権NGOなどからの非難の声はあるものの、少なくとも表面上は国土の大部分で通常の日常生活が戻っている。

しかし、経済はいまだ十分に回復していない。2014年6月に発足したスィースィー政権は、経済再建を目的として、発足当初から財政赤字の削減や社会保障制度の見直しといった経済改革を実施したが、速やかな経済復調に結びつかなかった。むしろ、2016年11月の一連の経済改革によってインフレ率が急上昇し、国民の多くが再び経済的な困難に直面した。

エジプト経済は、大胆な改革に伴う現在の苦境を乗り越えれば、停滞を脱するだろうか。言い換えれば、スィースィー政権は今後成長期を迎えるだろうか。本稿では、統治と開発政策の観点から、スィースィー政権の中長期的な経済成長の見通しを考察する。なかでも、持続的な経済成長に不可欠とされる「包括的」な政治・経済体制の構築について、スィースィー政権の施策と現状に注目し、エジプトの持続的経済成長を展望する。

以下、第1節で統治手段、第2節で経済政策を検討する。そして第3節でスィースィー政権での経済開発の枠組みと持続的成長への見通しを考察する。

1. スィースィー政権の統治手段

2013年7月のクーデターでムルスィー大統領が追放されて以降、政治を支配したのは軍だった。その中心は、当時の軍トップで国防大臣だったスィースィーである。2014年5月の大統領選挙に勝利することで正式にスィースィー政権が誕生したが、スィースィーを頂点とする新たな統治体制(スィースィー体制)の形成は2013年7月から始まったと言える。

スィースィー体制の特徴は、権威主義体制の再構築である。ムバーラク政権期の権威主義体制を強化・発展させることで、いっそう強権的な支配を確立した。スィースィー体制では、社会秩序の回復(社会安定)を優先事項の一つに掲げることで、政治運動を制限する法制化が進められた。さらに、メディアやNGOの活動を牽制・規制し、活動の自由を抑圧する措置を講じた。

(1) 政治運動の規制

ムルスィー大統領の追放で始まったスィースィー体制においてまず顕著となったのは、政権による政治運動の規制だった。第2移行期の前半を司ったマンスール暫定政権は、ムルスィー大統領を支持する勢力の抗議集会を強制的に排除するなど、反政府運動を容認しなかった。なかでも、ムルスィー政権を支えたムスリム同胞団に対する弾圧を強め、2013年12月にムスリム同胞をテロ組織に指定し、組織のすべての活動を禁じた2

マンスール暫定政権は、特定組織の活動を禁止するだけでなく、抗議活動自体を規制することで、政治運動を抑え込んだ。その根拠となったのが2013年11月に制定された「平和的な公的集会、パレード、抗議デモを組織する権利に関する法律」(Law No.107 of the year 2013)で、街頭での集会や抗議活動を規制した3

Law No. 107 of the year 2013(以下、「デモ法」)は、議会不在のため、大統領令として発効した。その第1条において市民が抗議デモを行う権利を認めているものの、内務省や治安組織の判断によって抗議デモを中止させることができるなど、「デモ法」は実質的には抗議デモを制限するものだった4。実際、「デモ法」の制定以降は、無許可での抗議デモは強制的に解散させられ、多くの参加者が逮捕・拘留されている。「4月6日運動」を率いたアフマド・マーヘルも無許可で抗議デモを組織したとして逮捕され、禁錮3年の判決が下った。

「デモ法」は、2016年12月に第10条(内務省・治安組織による抗議デモ禁止命令を規定した条項)について、最高憲法裁判所によって違憲判決が下された。それを受けて第10条は改定され、抗議デモの禁止は内務省の要請に基づき裁判所が判断することとされた。しかしながら、その他の条項は維持されており、現在までデモの自由は制限されている。

(2) 市民活動の抑圧

スィースィー政権では、政治運動だけでなく、社会活動への規制も強めた。NGOの活動を規定する法律を改正することでNGOの活動に対する監視を強化し、自由な活動を制限した。なかでも、社会秩序と治安の安定を理由として、人権、法律、労働の分野で活動するNGOの管理を強化した。

NGO法(Law No.84 of the year 2002)は、当初2002年に制定された。その目的はNGOの設立や資金調達において政府の許可と監視を規定するもので、NGO活動を政府の管理下に置くことだった。2017年5月の改正(Law No.70 of the year 2017)は、NGO活動の監視をいっそう強めるものであり、またNGOの活動範囲を限定するものとなった5。政府はNGOを社会経済分野の発展を支援する中間組織と位置付け、人権や民主化といった政治に関わる分野での活動を厳しく制限した。

改正NGO法に対しては、エジプト国内外の人権団体などから非難声明が出された6。改正によってNGO活動の自由と独立性がいっそう制限され、多くの既存NGOの活動を不可能にするものだとして、改正撤回を求めた。さらに、2017年8月にアメリカがエジプトへの援助を一部停止した理由として、改正法による人権活動の制限に対する懸念のためと報じられた7

2015年8月に制定された「反テロ法(Anti-Terrorism Law)」も市民の自由に影響を及ぼしている8。「反テロ法」の趣旨はテロ行為の厳罰化であるが、テロ行為の定義が不明瞭で政府による裁量の余地が大きいためである。さらに、テロに関する報道について、公式発表と矛盾する報道に対して罰金刑を課すこととした。いずれも政府の権限と管理を強化することで社会秩序と治安の維持を図ることを目的としているが、結果として政府に少しでも反対する活動は処罰対象となる可能性が高まり、市民活動の自由が脅かされることになった。

(3) 自由の規制

スィースィー政権による権威主義的な統治は、法制度の改定だけでなく、政権の言動においても顕著になっている。スィースィー政権は、「テロとの戦い」を旗印として強権的な統治を推し進めており、その結果として活動の自由が侵害される事例が増えている。たとえば、2017年5月に、エジプト国内において、多くの民間報道機関のウェブサイトへのアクセスが遮断された。そのなかにはエジプトでの正式な事業免許を持つ報道機関も含まれていた。当初はアル=ジャジーラやマダー・マスルなど国内外の約20の報道機関のウェブサイトが対象だったが、同9月までに個人ブログや政治グループなどを含む430以上のウェブサイトがエジプト国内からアクセス不能となった9

アクセス遮断は政府機関によって実施されたと考えられるが、詳細は明らかにされなかった。一部報道では、テロを助長する報道をしたためとされたが、政府からの正式な声明はなく、どのような基準でウェブサイトを遮断したのか不明である10

自由な活動を妨げる手段として2013年7月以降に懸念されるようになったもう一つの手段は「強制失踪(enforced disappearance)」(誰にも知らされないまま治安当局に逮捕・拘留されること)である。たとえば、2015年には10か月で1400人以上が「強制失踪」したとの報告がある11。また、2016年8月からの1年でさらに378名の「強制失踪」が報告された12。「強制失踪」者の多くは後に起訴されるが、長期にわたって所在不明な者や正式な取り調べなしで釈放される者も少なくない。

「強制失踪」報告に対し、ガッファール内務大臣は、警察による強制的な失踪や拘留はないと発言した。「強制失踪」とされるケースの多くは通常の逮捕であり、誤った伝聞が流布されていると述べている13

2. スィースィー政権の経済政策

スィースィー体制が重視したのは、秩序と治安の維持に加え、経済を回復させることだった。ムルスィー政権で行き詰まった経済を好転させることで、スィースィー体制の正当性と支持を確立する必要があるからだ。しかしながら、経済成長率は、ムルスィー政権の追放を機に回復に向かったかと思われたが、2014年後半以降に再び停滞した(図1)。

図1 成長率の推移(前年同期比)

・2016年4-6月以降の「一人あたりGDP成長率」は非公表のため不明。

(出所)Financial Monthly, various months (Ministry of Finance)

2014年6月に発足したスィースィー政権は、目標とする年5~6%の経済成長率にはいまだ達していないが、発足直後から大胆な経済改革と大規模開発プロジェクトに取り組んでいる14。本節では、スィースィー政権の経済政策について、マクロ経済改革、社会保障、経済開発の3つの点から検討し、開発戦略の特徴を描く。

(1) マクロ経済改革

スィースィー大統領は、就任早々から経済改革に着手した。まず、大統領就任前に策定されていた2014/2015年度(2014年7月~翌年6月)予算案に対し、財政赤字幅をさらに縮小するよう指示した。大規模な財政赤字は、マクロ経済の不安定化要因として問題視されていたためである。予算案は内閣によってわずか5日で修正され、2014年6月29日にスィースィー大統領は修正予算案を承認した。

修正予算では、当初予算と比べて歳入は6.2%増、歳出は2.2%減となり、財政赤字はGDP比で2%削減され10%(2400億エジプト・ポンド[以下、LE])となった。歳入増加の手段は、付加価値税(VAT)とキャピタル・ゲイン税の導入などの税制改革だった。歳出削減は、補助金支出の縮小が主な手段となった。なかでも、それまで歳出の約20%を占めていたエネルギー補助金の削減が計画された。

歳入増加の手段として計画された税制改革は2014/2015年度に大きな進展は見られなかったが、歳出減の手段である補助金削減では、新年度早々にエネルギー補助金の削減(主要エネルギー価格の引上げ)が実施された。2014年7月5日の価格改定で、ガソリン、産業向け天然ガス、電力は大幅に値上げされた(表1参照)。

表1 エネルギー価格の改定(2014年7月)

(出所)各種報道(Ahram Online,Daily News Egypt,Egypt Independent,Mada Masrなど)を基に筆者作成。

政府は、2015年3月、財政赤字の縮小プランを含む5カ年計画(2014/2015~2018/19年)を公表した15。同計画は、(1)持続可能なマクロ経済の回復、(2)法制度改革とインフラ整備、(3)持続可能な社会政策の3つを重点とし、5年間の改革方針を提示している。いずれもスィースィー政権の発足直後からしばしば言及された政策で、その方針を改めて確認するものだった。

表2は5カ年計画策定時の主な目標値を要約したものである。計画最終年度にあたる2018/2019年度の目標値は、成長率6%、失業率9.8%、インフレ率7.4%、財政赤字GDP比8.1%となっている。ここから、マクロ経済状況は徐々に上向き、2018/2019年度までに「アラブの春」以前の状況まで回復することを目標としていることが読み取れる。

表2 Strat_EGY(5カ年計画)の目標値

Source: "Strat_EGY: Egypt's Five Year Macroeconomic Framework and StrategyFY14/15-FY18/19" GOE

しかしながら、経済改革は2015/2016年度に低調になった。歳入面では、所得税率の引き下げ、キャピタル・ゲイン税の延期、付加価値税の審議遅延によって、税収は伸び悩んだ。歳出面では、予定されていたエネルギー補助金のさらなる削減(エネルギー価格の引き上げ)が見送られた。その結果、2015/2016年度の財政赤字はGDP比12.1%と、予算書で想定した同8.9%を大きく上回り、さらに前年度実績値(11.5%)よりも悪化した。

2015/2016年度は、外国人観光客の減少、外貨不足、基礎物資の不足が顕著になり、経済成長率は3.8%に減速した。なかでも外貨不足が深刻化し、2016年10月には公定レートと並行市場レートの乖離は100%以上となった。

マクロ経済の不均衡を解消し、経済回復への道筋を確かなものとするため、スィースィー政権はIMFとの融資交渉を再開した。2016年7月にIMFとの融資交渉が合意間近になったことを明かし、同年8月11日に暫定合意(事務レベルでの合意)に至った16。拡大信用供与ファシリティ(Extended Fund Facility:EFF)の枠組みで3年間に120億米ドルの融資を受けるという内容だった17

IMFとの暫定合意の後、スィースィー政権はEFF実施の前提となった経済改革に取り組んだ。導入の遅れていた付加価値税(VAT)は8月末に議会を通過し、翌9月に大統領の承認を得て実施された。11月初旬には、変動為替相場制への移行とエネルギー補助金の削減が実施された18

経済改革は2017年に入っても継続した。地下鉄運賃の値上げ(3月)、エネルギー補助金のさらなる削減(6月)、VATの税率引き上げ(7月)、上下水道料金の値上げ(8月)など、財政再建に向けた取り組みが続けられた19

(2) 社会保障制度の再編

経済改革の実施は、社会保障制度の見直しに繋がった。社会保障制度の中心は全ての国民を対象とする補助金制度だったが、財政改革による補助金支出の削減のため、制度維持が困難になった。これまでの補助金制度は、エネルギー(石油製品、電力)と基礎食糧への補助が2本柱になっていた。そのなかで支出額の大きかったエネルギー補助金が主な削減対象となった20。IMFに提示した改革プログラムでは、石油製品の大部分の価格を2018/2019年度までに原価以上とし、また電力補助金を2021/2022年度までに全廃する計画になっている。

それに対し、食糧補助制度は、削減ではなく効率性向上を主な目的とする改革が始まった。それまでの特定食糧の割当方式からバウチャー制度へと移行することで、対象者の需要に基づく効果的な補助制度の構築を進めている。バウチャー制度は、補助額の範囲内で砂糖、食用油、米など20品目以上から任意の食料品を選択できる仕組みで、現金給付に準じる制度になっている。選択できる品目は100種類以上に拡大される予定であり、また補助額は当初の一人あたり月額15LEから2017年7月には同50LEに引き上げられた。

補助金制度以外の社会保障制度では、低所得層の支援・保護手段として、現金給付制度が拡充された。これまでの現金給付制度は、寡婦・孤児・高齢者などに限定されていたが、2015年3月に所得基準を導入した新たな現金給付制度が始まった。「タカフル(連帯)」と「カラーマ(尊厳)」と名付けられたプログラムで、タカフルは18歳以下の子供を持つ家庭向けの所得支援スキーム、カラーマは働くことのできない人、高齢者、障がい者のための社会保護スキームである。2017年3月までに2つのスキームで計174万人が登録された21

(3) 経済開発の推進

経済成長の促進策として、スィースィー政権は発足後まもなくスエズ運河の拡張に着手した。それは周辺地区のインフラ整備を含む総費用84億米ドルのプロジェクトで、政権の経済開発に対する姿勢を示すものとして内外から注目を集めた22

スィースィー政権の経済開発の全貌は、2015年3月13~15日に開催された「エジプト経済開発会議(EEDC)」で明らかにされた。EEDCは2013年7月にサウジアラビアが開催を提案したエジプト支援国会合に端を発するもので、その後エジプト政府によって主催されることになり、経済支援に加えて投資誘致を目的とする国際会議として開催された。スィースィー政権はEEDCを経済回復の端緒とすべく、会議開催までに投資法の改正や議会選挙の実施を予定するなど、政治と経済の両面で「正常化」と制度改革に取り組み、海外投資家に対して投資環境の改善をアピールした23

EEDCでは、長期開発方針として「持続的開発戦略:エジプト2030年ビジョン(Sustainable Development Strategy:Egypt’s Vision 2030)」が公表された24。そこでは2030年に向けた総合開発方針を「近代的、民主的、生産的で開かれた社会を構築する」こととし、経済、社会、環境の3分野10部門について、それぞれの目標を設定した(表325。ここで示されたビジョンは経済開発だけでなく、教育、保健、文化なども含む包括的な開発戦略であり、エジプト社会が目指す方向性を示すものとなった。

表3 エジプト2030年ビジョンの枠組み

(出所)Egypt's Vision 2030公式ウェブサイト(http://sdsegypt2030.com/?lang=en)から抜粋。

経済開発について、「持続的開発戦略:エジプト2030年ビジョン」では6つの大規模プロジェクトが提示された。それらは、(1)スエズ運河地域開発プロジェクト、(2)100万フェッダン26の砂漠開拓、(3)100万戸の低価格住宅、(4)4800キロメートルの道路建設、(5)上エジプトでの鉱物資源開発、(6)地中海沿岸地域の観光都市開発である。その多くは、大統領選挙時にスィースィーが掲げた開発計画に含まれていた27。スィースィー政権は発足以降に数多くの開発プロジェクトを発表しているが、その中核となったのが上記6つのプロジェクトだった。

さらに、EEDCにおいて、行政機能を移転する新行政首都の建設構想が発表された。カイロ東方の沙漠地に、省庁、議会、各国大使館などの機能を集約し、500万人規模の都市を新たに造成するプロジェクトである。その第1段階として、2022年までに105平方キロメートルを開発することが発表された。

EEDCは大きな成果を収めた。エジプト政府はEEDC開催中に100~120億米ドルの投資契約を締結することを目標としていたが、それを大きく上回る投資が外国企業との間で合意された。なかでも、最も多くの投資契約が締結されたのは石油・エネルギー部門だった。イギリスBP社120億米ドル、イタリアEni社50億米ドル、イギリスBG社40億米ドルなど、大規模な投資計画が相次いで発表された。他にも不動産開発や発電・送電部門で大規模な投資が表明されたが、その多くはMOU(覚書)の締結で、具体的な投資の時期と規模は確定しなかった28

外国企業の投資計画の表明に加え、EEDCにおいてサウジアラビア、UAE、クウェートがそれぞれ40億米ドル、オマーンも5億米ドルの経済支援を表明した。サウジアラビア、UAE、クウェートの3カ国は、第2移行期のエジプトにとって最大の支援国であり、2014年末までに3カ国で計230億米ドルを支援した。EEDCでの支援表明もスィースィー政権を全面的に支持することを改めて示したものと理解できる。

EEDCでの合意に基づく投資契約は、開催1年後の時点で計330億米ドルとなった29。一方で、新行政首都の建設や一部の不動産開発計画など、EEDCで締結したMOUが破棄されたケースもあった。しかしながら、新行政首都の建設は中国政府の協力を得て実現に向かうなど、EEDCで発表された開発プロジェクトは着々と実施されつつある。

(4) 政権の開発戦略

スィースィー政権の経済政策は、ムバーラク政権期の方針を引き継いでいる。ムルスィー政権も同様の方針だったので、経済政策に関しては、2011年前後で大きな転換はなかったと言える。むしろ、2011年以降の政権は、ムバーラク政権期に実現しなかった経済改革の断行を目指した。

ムバーラク政権後期の経済政策は、自由市場体制を基本とし、マクロ経済の安定を優先させるものだった。それは1990年代初めの構造調整プログラムの導入によって明確になり、2000年代に促進された。その一方で、雇用と生活保障に対する国民の期待を背景に、政府の役割として雇用の創出と社会保障の維持を重視した。結果として、マクロ経済の安定化(とくに財政赤字の縮小)と社会保障制度の維持(とくに補助金制度の維持)の両立が恒常的な政策課題となった。

政権が直面する政策課題は、スィースィー体制でも変わらなかった。むしろ、経済低迷によってマクロ経済はいっそう不安定化し、また「1月25日革命」以降に国民の政府への期待が高まったため、経済運営はますます難しくなった。

スィースィー体制の初期を担ったマンスール暫定政権は、政治の不安定化で混乱した経済状況への緊急対策を優先し、拡張的な財政・金融政策を採用した。湾岸アラブ諸国からの財政支援を活用した経済刺激策を実施したのである。中長期的な視点からの経済政策ではなく、応急策だったと理解できる。

それに対し、スィースィー政権では、当初からマクロ経済安定化を目的とした緊縮的な財政・金融政策を実施した。短期的な困難は覚悟の上で、中長期的な視点で経済安定化を目指したと理解できる。緊縮財政政策は、社会保障制度の見直しを不可避とした。社会保障制度の中心である広範な補助金制度が財政を圧迫しており、財政赤字の縮小には補助金削減が不可欠だったからだ。しかしながら、社会保障制度の見直しは、単なる補助金支出の削減だけでなく、制度全体を再設計することで、持続可能な財政と必要な社会保障の両立を図ろうとしている。

経済改革によるマクロ経済の安定化に加え、スィースィー政権は大規模な経済開発プロジェクトを次々に打ち出した。その多くは過去に構想されたものの、資金的な理由で実行されなかった計画だった。スィースィー政権では、国内外から投資を募ることで、大規模プロジェクトを推進した。たとえば、スエズ運河拡張では自国民のみ購入可能な有価証券を発行し、またEEDCでは海外からの投資を誘致した30

スィースィー政権の開発戦略は、自由市場体制を基本とする点でムバーラク政権期の延長線上にある。また、直面する政策課題にも共通点が多い。その一方で、ムバーラク政権と大きく異なるのは、経済開発の担い手である。ムバーラク政権では、民間企業―なかでも政権と緊密な関係にあった大企業―が経済開発(成長政策)の主な担い手とされたのに対し、スィースィー政権では軍(および軍所有の企業)が経済開発の担い手として重要な役割を果たすようになった。政府の打ち出した大規模プロジェクトの多くで、軍が担い手(主契約者)となった31

従来から軍は、軍需品だけでなく、公共インフラの建設や民需品の生産者として活動していた32。しかし、第2移行期(2013年7月~2015年12月)以降、軍の経済分野への進出はますます顕著になった。たとえば、経済回復のためにマンスール暫定政権が実施した経済刺激策によるインフラ建設工事の多くを請け負った。また、2014年3月には、軍とUAE企業の合弁事業として400億米ドル規模の住宅建設プロジェクトが発表された。

軍の経済開発への関与は、スィースィー政権発足後も続いている。スエズ運河拡張工事は、政権の意向によって、軍が主要な役割を担った。スエズ運河地帯の総合開発計画にも軍は深く関与している。その他、公共事業の資金源としてスィースィー大統領の発案で設立された基金(Long Live Egypt Fund)に1億4000万米ドルを寄付するなど、軍はスィースィー政権の進める経済開発の主要なパートナーとしての地位を確立した。

経済政策論の視点からみると、スィースィー政権の政策理念は自由市場体制を基礎としつつ、持続可能な「新しい」福祉制度の構築を目指していると解釈できる。その一方で経済成長戦略の担い手として軍を重用している。経済成長の担い手として、民間部門(市場メカニズム)に委ねるだけでなく、もう1つの経済主体として軍を起用した。軍は、政府の描く経済開発戦略の実施主体となった。スィースィー政権では、経済主体としての軍と民間部門の並存という、変則的な混合体制が形成されつつある33

3. 持続的な経済成長は可能か

スィースィー政権のこれまでの方針を要約すると、強権的な統治によって社会秩序を回復させ、経済改革によってマクロ経済を安定化させることで、国内外から投資を誘致し経済成長を促進させようとするものだと言える。加えて、政府自ら投資機会を示し、また経済主体として軍を起用するなど、公的部門が経済開発の陣頭に立っている。こうした開発体制は持続的な経済成長に繋がるのだろうか。ここでは3つの視点からスィースィー政権の統治と開発政策が経済活動に与える影響を考察する。

第1は、政治的な自由の欠如との関係である。スィースィー政権は社会秩序を優先し、政権に異を唱える活動を厳しく規制した。スィースィー体制を否定するムスリム同胞の弾圧から始まった反政府的な政治活動の抑圧は、デモの規制、民主化運動の制限、NGO団体の管理強化と範囲を広げ、市民による自由な活動を著しく困難にした。その結果、政府に都合の悪い意見は排除された。

政府支持層以外を排除する権威主義的な統治は、経済活動の自由を保障しない。たとえば、政権からムスリム同胞団との繋がりを疑われた企業や実業家の資産は凍結・没収された。その規模は、ムスリム同胞団の保有資産を合わせると、2016年1月までに11億米ドルと報道された34。それ以降もムスリム同胞団と関係するとされる企業と個人の資産凍結は続いている35。資産凍結の対象には、新聞社、大規模な小売企業、著名な実業家も含まれているが、ムスリム同胞団との関係が明らかでないケースも多い。権威主義的な政権による政治的な意向に基づく資産凍結は、違法でない組織や実業家にとっても経済活動のリスクとなる。政府の意向に沿わない場合、突然企業活動が困難になり兼ねないのである36。それは企業にとって投資抑制要因となる。

2つめは、軍による経済活動がビジネス環境に与える影響である。前述のように、軍による民需品の生産は以前から行われてきたが、その規模と役割はスィースィー政権で大幅に拡大した。いまや軍はインフラ整備における主要な契約主体となっているだけでなく、食料生産、医薬品製造、住宅建設、自動車生産、警備サービス、不動産開発など、多くの分野で国民向けの財・サービスの生産を拡大している。

軍による経済活動は、徴集兵を用いることで労働コストは安く、さらに納税および事業に関わる許認可取得が不要とされる37。こうした「特権」によって、軍は民間企業に対して優位な立場を確保し、市場での競争条件を歪める要因になっている。「特権」を持たない一般企業にとっては、軍と競合するのは困難なため、軍との合弁事業や軍の下請けとして事業に参入する事例も見られる38。こうした軍による経済活動および軍と一般企業の関係は、ビジネス環境を不透明にし、また市場競争を歪める39

3つめは、インフラ整備に限らず、産業発展や投資プロジェクトにおいても政府が主導的な役割を果たしていることである。スィースィー政権はEEDCにおいて、インフラ整備計画に加え、政府が有望と考える産業と投資プロジェクトを提示し国内外から投資を誘致した。最近では、2017年10月末にエジプトで初となる産業投資マップ(Industrial Investment Map)を公表した40。そこには、全国27県の投資機会について、8分野で計4136件が掲載されている41。また、スィースィー政権は、湾岸アラブ諸国(サウジアラビア、UAE、クウェート)、中国、ロシアなどとの間で積極的に2国間経済協力を推進し、各国の政府から大規模な投資の約束を引き出した。

政府主導の開発は、アジア諸国での成功例もあるが、経済成長をもたらすかは自明でない。エジプトでは、過去に政府の策定した開発計画はいずれも頓挫した。民間部門の実態を考慮しない野心的な計画と過度な介入だったためだ。スィースィー政権においても政府の強いリーダーシップの下でビジョンが描かれ、開発が進められている。そこでは国内民間部門は従属的な存在にすぎない。こうした民間部門を中心としない「上から」の経済開発で産業発展を促すことは難しいだろう。むしろ、これまでと同様、開発資金の不足と民間部門の不在によって、政権のビジョンはいつの間にか変更もしくは放棄される可能性も高い。

以上から、スィースィー政権の経済開発は、権威主義的な政府の主導の下で進められていると言える。政権は、政治と経済の両面において自由を規制し、自らの意に沿う主体を中心とする開発体制を敷いた。政府主導の開発は、迅速な実施や調整といった利点がある一方で、特定の主体のみ参加する競争制限的な枠組みになる。「選別的」な政策で一部の主体が排他的に経済機会を得る「不公正」な競争になるからだ。公正な競争のない市場では、資源の効率的な配分は損なわれ、またイノベーションは促進されず、生産性の継続的な向上は見込めない。その結果として、長期的に見た場合、持続的な経済成長は期待できない42

おわりに

本稿では、スィースィー政権の統治と開発を検討し、長期的な視点から持続的な経済成長への見通しを考察した。権威主義を強化し軍を開発の主要パートナーとするスィースィー政権は、国民の自由を制限し、経済活動に介入することで、経済成長を促進させようとしている。しかしながら、国民の参加を保障するような「包括的」な政治・経済制度を欠くスィースィー政権は、透明性のある公正な競争市場を提供していない。それは、資源の効率的な配分とイノベーションを妨げ、持続的な経済成長を阻害する。

その一方で、スィースィー政権は経済成長を優先課題の一つとしている。経済を成長させ国民の生活水準を改善することは、スィースィー体制の正当性を確立するために不可欠だからだ。経済成長を目標とする権威主義体制と捉えるならば、スィースィー政権は開発主義(開発志向型国家)に基づく経済運営を行っていると言えるかもしれない。

開発主義は、かつて多くの途上国で支配的イデオロギーとなった。なかでもアジア諸国の多くは、1980年代まで、開発主義体制下で高成長を遂げた43。しかし、1980年代後半以降、アジア諸国では開発主義に対する批判と挑戦が活発化した。「民主化」や「ポスト開発」の動きである。すなわち、国民は政治と開発への参加を求めた。

スィースィー政権は開発主義を標ぼうするだろうか。また、「1月25日革命」後の国民が開発主義を受け入れる蓋然性はあるだろうか。権威主義体制を確立したスィースィー政権の開発行政と国民の受容について今後注目したい。

本文の注
1  ここでの「正常化」とは、有効な憲法の下,正式な大統領(行政)と議会(立法)が存在する状況を指す。

2  政治活動を行う団体の封じ込めは、ムスリム同胞団だけに限らない。たとえば、2014年4月には「1月25日革命」を率いた青年組織「4月6日運動」の活動を禁止する判決が出された。

3  Law No. 107 of the year 2013は、http://www.almasryalyoum.com/news/details/346065、およびhttp://www.constitutionnet.org/sites/default/files/protest_law_issued_nov_24.pdf を参照(最終アクセス日はいずれも2017年11月15日。なお、以降の注のURLへの最終アクセス日は、別記しない限り、すべて2017年11月15日)。

4  「デモ法」の概要については、Amr Hamzawy (2017) Legislating Authoritarianism: Egypt’s New Era of Repression, Carnegie Endowment for International Peace, March.を参照。

5  改正案は2016年11月に議会を通過し、2017年5月の大統領承認によって発効した。改正NGO法では、労働(労働組合、専門職組合)分野でのNGO活動の禁止、外国NGOの監視機関の設立、1万エジプト・ポンド(LE)以上の寄付を受けるには事前承認を必要とするなど、NGO活動の規制を強化するものとなっている。

6  たとえば、2017年6月2日にHuman Rights Watch、Tahrir Institute for Middle East Policyなど8団体が共同で非難声明を出した( https://www.hrw.org/news/2017/06/02/egypt-new-law-will-crush-civil-society )。

14  経済成長率の目標値は、2016/2017年予算書では5.2%(2016/2017年度)、2016年3月の首相による議会での所信表明演説では5~6%(2017/2018年度末)、「エジプト2030年ビジョン」では10%(2020年)および12%(2030年)となっている。

15  5カ年計画は、「エジプト5カ年マクロ経済枠組みと戦略(Strat_EGY:Egypt’s Five Year Macroeconomic Framework and Strategy, FY14/15-FY18/19)」として2015年3月に開催された「エジプト経済開発会議」の場で公表された。

17  拡大信用供与ファシリティは中期的な経済構造改革を支援する枠組みで、他のIMF融資と比較して、契約期間と返済期間は長期に設定されている。詳しくは、http://www.imf.org/en/About/Factsheets/Sheets/2016/08/01/20/56/Extended-Fund-Facility を参照。

18  経済改革の進展を受け、IMFは11月11日に理事会でエジプトへのEFF供与を正式に承認し、同日に第1回融資分として27.5億米ドルを供与した。

19  エジプトの経済改革の実施状況について、IMFはEFFの第1回レビュー(2017年7月実施)において、一部項目で当初計画よりも遅れが生じているものの、改革は進展していると評価した( https://www.imf.org/en/Publications/CR/Issues/2017/09/26/Arab-Republic-of-Egypt-First-Review-Under-the-Extended-Arrangement-Under-the-Extended-Fund-45273 )。

20  たとえば、2013/2014年度は、エネルギー補助金支出はGDP比6.6%、食糧補助金支出は同1.7%だった。

22  拡張工事は、運河の複線化(35キロメートル)と水路拡大(37キロメートル)を行うもので、当初3年と見積もられた工期はスィースィー大統領の指示によって1年に短縮され、軍の指揮の下で40社以上の国内企業と6社の外国企業によって進められた。工事は予定通り1年で完了し、2015年8月に大々的な完成式典が開催された。

23  EEDCには100カ国以上から政治家や企業経営者を含む約2500人が参加した。中東アフリカ諸国を中心に多くの政府首脳も出席した。湾岸アラブ諸国からは、サウジアラビア皇太子、ドバイ首長、クウェート首長、バハレーン国王が参加し、その他にもヨルダン国王、スーダン大統領、マリ大統領、ソマリア大統領なども参加した。また、アメリカ国務長官、ロシア経済開発大臣、中国商務部部長、IMF専務理事、EBRD総裁など主要国の大臣および国際金融機関のトップ(すべて当時)も参加した。一方で、軍によるムルスィー元大統領の排除を批判したことでスィースィー政権との関係が悪化したトルコとカタルは参加しなかった。

24  EEDCでは暫定版が公表され、正式版は2016年2月に発表された。主な内容について暫定版と正式版に大きな違いはない。

25  さらに社会発展の基盤として、国内政策と対外政策・安全保障も持続的開発戦略の一部に組み込まれている(http://sdsegypt2030.com/

26  フェッダンは面積を表す単位で、1フェッダン(feddan)= 60メートル×70メートル = 0.42ヘクタール = 1.038エーカー。

27  スィースィーは大統領選挙期間中に具体的な経済政策を語ることはなかったが、公式ウェブサイト上に政策方針となる文書を掲載した。経済開発については「未来の地図(The Map of the Future)」と題する文書が掲載され、経済活動の活性化を目的とした県境の再画定、農業用地として400万フェッダン(415万エーカー)の沙漠地開拓、農業用灌漑設備の全面的改修、新工業地域の造成(22か所)、新都市開発(25都市)、新空港の建設(8か所)、高速鉄道網の構築、全国的な道路整備(4000~5000キロメートル)など、壮大な国土開発計画が列挙された(http://www.sisi2014.net/en/content.php?ID=2 最終アクセス日:2014年6月1日)。

28  大規模なMOUの例として、不動産開発では、エジプト企業とUAE企業による合弁事業197億米ドル、エジプト企業とサウジアラビア企業による合弁事業57億米ドルなどが、発電・送電分野では、ドイツのシーメンス社105億米ドル、UAE企業94億米ドル、ヨルダン企業35億米ドル、中国企業18億米ドルなどが発表された(http://english.ahram.org.eg/NewsContent/3/162/125319/Business/EEDC-/Egypt-poses-as-businessfriendly-hub-scores-high-i.aspx)。

30  スエズ運河拡張のために発行された証券(スエズ運河証券)は、エジプト国民のみが購入できる5年満期、年利12%の証券で、国有銀行が発行し財務相の保証が付いた。

31  Marshall, Shana. 2015. The Egyptian Armed Forces and the Remaking of an Economic Empire, Carnegie Middle East Center, April.

32  Springborg, Robert. 1987. “The President and the Field Marshall: Civil-Military Relations in Egypt Today,” Middle East Report 17, July/August, Roy, Delwin A. 1992. “The Hidden Economy in Egypt,” Middle Eastern Studies 28(4) October: 689-711.

33  ここでは、政府介入と市場経済の並存という「典型的」な混合経済体制ではなく、政府の支配外にある軍の経済分野への参入と市場経済の並立を指して「変則的」な混合体制と捉える。

36  1.(3)項で述べたメディアのウェブサイト遮断はその一例と捉えることができる。政府は、社会秩序の脅威になると判断した場合、必ずしも理由や根拠を明かさないまま、事業に大きな影響を与える干渉をした。

37  Marshall, Shana and Joshua Stacher. 2012. “Egypt’s Generals and Transnational Capital,” Middle East Report 262 Spring: 12-18.

38  Ibid.

39  現在まで、国民経済における軍の位置付けと機能は明確にされていない。経済主体としての軍をどう扱うのか明確にすることが公正な市場競争を確保するために不可欠となるだろう。

42  現在のエジプト経済は、「1月25日革命」以降の低迷と人口増加によって、成長余地が大きい。そのため、競争制限的な市場条件でも、労働力の増加、政府との契約に基づく投資拡大、インフラ整備などによって、当面の経済成長は可能かもしれない。しかしながら、その成長は生産要素の量的な拡大に依存した過渡的なものとならざるを得ないだろう。

43  アジア諸国での「開発主義」の展開は、末廣昭(1998)「発展途上国の開発主義」(東京大学社会科学研究所編『20世紀システム(4)開発主義』東京大学出版会)を参照。

 
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