抄録
1696 年(元禄9、粛宗22)蝦夷地に8 人の朝鮮人が漂着した。漂流朝鮮人の一人の李志恒が帰国後に漂流の経緯や旅程を述べた『漂舟録』と『李志恒漂海録』が朝鮮側の記録として残っている。両記録は、18 世紀に朝鮮の実学者の間で蝦夷という地域に関する希少情報として流通した。両記録についてはまだその伝来が不明であるが、李志恒の蝦夷地での体験に先立ち、序文に彼の略歴を示した形になっている。本稿では、漂流当事者の李志恒についての関連記録を検討するとともに、当時の社会的背景を踏まえることで、両記録に彼の略歴が序文として加わった形になった時期を推定した。李志恒は1675 年(粛宗元)武科試験に及第したが、漂流当時の1696 年に至っても官職を務めていない「先達」であった。彼は漂流事件から朝鮮に送還された後、1720 年(粛宗46)に6 品の副司果に任命されたことが『承政院日記』から確認できる。『漂舟録』と『李志恒漂海録』の序文では、李志恒が6 品まで上がったことを記しているため、両記録において現在伝わっている序文の形になった時期は1720 年以降であると推定される。