本稿は,パウロ・フレイレの教育思想とその教育実践について,その思想的な背景を検討することを通して,かれが提示する「課題提起教育」における「対話」と「意識化」という教育方法の弁証法的関係をふまえ,「生成語」/「生成テーマ」を媒介とした「課題提起教育」の実践についての構想を検討することにより,フレイレの「解放」の教育思想と「課題提起教育」の今日的意義を明らかにすることを目的とする。
フレイレの「解放」の教育思想は,キリスト教思想とマルクスの思想の結合を基盤に,物質的かつ意識的な二重の抑圧状況からの「自己解放」を目的とする。「自己解放のための闘い」に向かう「課題提起教育」は「課題提起」を媒介とした「命名」,「出会い」,「労働」の統一体である「対話」とそれを方向づける「意識化」の弁証法的実践である。具体的な学習場面においては,「生成語」/「生成テーマ」が「対話」と「意識化」の弁証法を媒介する。「生成語」/「生成テーマ」は学習者と生きる現実を,そして教育者と学習者,学習者相互を媒介する。その学習は学習者自身にその学習能力や批判能力を感じさせると同時に,その社会における自らの権利を獲得するべく闘うことに向けた社会参加の資質能力を保障するという意味で自己変革と社会変革への学習である。
こうしたフレイレの「解放」への学習は今日の日本の「学習」をめぐる問題状況に批判的な示唆を提起している。