教育方法学研究
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研究論文
  • ― 「アイデンティティの資金(Funds of Identity)」アプローチの可能性 ―
    植松 千喜
    2024 年49 巻 p. 1-11
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2025/07/16
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,教育実践において学習者のアイデンティティを重視しつつ学びを創り出す,いわば「生徒の声」からペダゴジーを実践する取り組みとして,モイセス・エステバン=ギタートが考案した「アイデンティティの資金」アプローチに着目し,その理論的背景と実践事例を検討することで,意義と可能性を明らかにすることにある。本稿では2つの課題を設定し,次のことを明らかにした。

    第1に,知識/アイデンティティの資金アプローチの理論的沿革を振り返ると,脱政治化の危機に自覚的な研究群が存在してきたことが明らかになった。これらにより,「欠陥思考」に対する問題意識を脱政治化するような知識/アイデンティティの資金の活用に対抗しようとしていたことが窺えた。

    第2に,アイデンティティの資金を用いた幼児教育の実践事例の検討を通して,単に脱政治化を回避するだけでなく,教師の批判的介入がラディカル・ペダゴジーにしばしば見られるような「押しつけ」にならないよう,子どもたち固有の経験と創造を尊重する実践の可能性が見出された。

    また,冒頭の目的で示した,教育実践において生徒の立場を重視する際に使われる「生徒の声」という概念について,そのメタファーから想起されるような生徒による積極的かつ直接の表現の発露のみならず,アイデンティティの資金に見られるような文化的人工物を媒介することによって「生徒の声」を聴くことの可能性が示唆された。

  • ― 米国における議論の展開を手がかりに ―
    田中 崚斗
    2024 年49 巻 p. 13-24
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2025/07/16
    ジャーナル フリー

    「認識的不正義の是正をめざす授業」とは,認識的不正義が生じるメカニズムの理解を促し,それに注意しながらコミュニケーションする方法やそのコミュニケーションがとれる制度・文化を形成する方法を習得させる授業である。しかし米国では,認識的不正義を是正する必要性が理解されなかったり,類似の問題意識をもつ授業が既に実践されていたりする。ゆえに本授業を開発・実践する必要性に関して合意が得られているわけではない。そこで本稿では,米国での認識的不正義や本授業を巡る学際的な議論を手がかりに,本授業の開発・実践を正当化する理論的根拠の解明をめざした。具体的には,認識的不正義の是正に教育で取り組む理由と既存の授業にはない「認識的不正義の是正をめざす授業」における授業構成の特質を明らかにする。

    検討の結果,米国において認識的不正義の是正に教育で取り組む理由は,熟議民主主義の実現を阻害する根幹的な問題として認識的不正義を捉え,教育を通して,認識的不正義に注意しながらコミュニケーションすることに加え,それができる制度・文化を形成する市民育成をめざすべきとされたからであった。そして,既存の授業は,現実の人間の特性やコミュニケーションから乖離した想定に基づく授業構成となっていたが,「認識的不正義の是正をめざす授業」は,現実のそれらに即して目標の設定・授業の展開・学習過程の組織がなされていた。ここに本授業の特質がある。

  • ― 「貝」を教材とした小学校国語科授業の会話分析的検討を通して ―
    森 一平
    2024 年49 巻 p. 25-35
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2025/07/16
    ジャーナル フリー

     本論文の目的は,元東京都公立小学校教員である今泉博氏の授業映像を会話分析的に検討することを通して,「どの子も発言したくなる授業」を支える「評価」の技法を詳細に明らかにし,広く学校現場で共有可能な方法知として提示することである。

    分析の結果明らかになった知見は以下である。第1に今泉氏の授業では,「あえて間違いを引き出すTRS」/「多様な知識や意見を出し合うTRS」という2つのタイプのTRSが設けられており,それぞれにおいて異なるタイプの評価が実施されていた。

    第2に前者のTRSでは,「メタプロセス評価」が「受取+評価言+評価理由」からなるAER形式という構成で実施されており,それによって児童が回答の際に用いた「方法知」や「傾聴的態度」が学級全体に共有されていた。

    第3に後者のTRSでは,「知の拡張性評価」が「状態変化トークン+『いいこと言ってくれた』+別のIRE連鎖の駆動」という応用型AER形式によって実施され,児童の回答をきっかけとして学級全体の知のネットワークを拡張する機能を果たしていた。

    第4に後者のTRSではまた,「間違いの直接肯定」が上記応用型AER形式における「評価理由(R)」を「間違いの解説+その知的貢献の説明」に置き換えるかたちで実施され,「知の拡張性評価」と相伴いながら児童の間違いを分厚く肯定していた。

  • ― コンフリクトに着目して ―
    大城 朝周
    2024 年49 巻 p. 37-47
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2025/07/16
    ジャーナル フリー

    本研究では,ドイツの政治教授学(Politikdidaktik)を確立した1人であるヘルマン・ギーゼッケ(Hermann Giesecke)の政治教授学理論の構造とその特質を,コンフリクトに着目して明らかにすることを目的とした。第一に,1950年代における政治教育論の課題を踏まえた上で,ギーゼッケの「コンフリクト」概念の意味内容とその特質を明らかにした。第二に,ギーゼッケの教育内容論,すなわち実際の政治的対立を分析することを通じて得られる知として,陶冶知,方向知,行為知を構想し,科学によって合理化できない主観的な政治的判断の形成を彼が重視している点に論及した。第三に,行為知を生み出すための手法として,ギーゼッケが構想したカテゴリー分析を彼の授業モデルとそれに倣った授業実践とともに検討した。本研究を通じて,論争問題学習が隆盛する我が国の教育において,「論争問題を教材として扱うこと」そのものの意味を捉え直すとともに,論争問題学習における学習者の主観を位置付けるための示唆を得ることができた。ギーゼッケは論争問題を扱うことを提起しただけではなく,政治を客観的な認識枠組によって捉えきれない人間の価値判断の余地が残された状態として定義し,学習者の主観的な判断を重視することで,政治的教化に成り代わらない教育のあり方を示した。

  • ― 科学史学者・板倉聖宣の所論から ―
    香川 七海
    2024 年49 巻 p. 49-59
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2025/07/16
    ジャーナル フリー

    本稿では,板倉聖宣の所論をもとに,仮説実験授業における経験主義と系統主義の関係性について検討した。①板倉による経験主義批判は,生活単元学習という教育方法と,理科教育におけるマッハ主義に向けられていた。②マッハ主義を超えるために,板倉は,児童生徒の生活経験を問題として,「常識的直観」と「科学の論理」を「対立」させようと考えていた。③彼が経験主義の理念として理解した“子ども中心”による教育内容の民主化は,こうした「対立」による「授業運営法」によって実現することになった。④板倉は経験主義批判を展開したが,その理念は好意的に評価していたので,仮説実験授業のなかでは,児童生徒の生活経験が重要なタームとして理解されていた。その意味で,⑤仮説実験授業は,経験主義と系統主義の「統一」という側面を持って誕生した。本稿の論究から以上の論点が明らかとなった。

  • ― 「教育ノート」の記述内容に着目して ―
    久島 裕介
    2024 年49 巻 p. 61-72
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2025/07/16
    ジャーナル フリー

    教師の教育研究の歴史において1950年代は,教師が一人称で記述する物語的な実践記録が主要な様式として定着していた時期であり,土田茂範はそのような研究を代表する教師の一人として位置づけられている。本稿は,未活用史料である「教育ノート」に着目して,1950年代後半における土田の教育研究の展開を明らかにした。1950年代後半における土田の教育研究は,「子ども」と「社会」と「方法」との相互往還的な把握を自覚の程度は別にして底流として忍ばせつつも,子どもの位置づけの変容と「社会科学」的視点の後退に伴い,「方法」の研究へと収斂していく過渡期であったと結論づけられる。

    そして,本事例は1950年代から1960年代にかけての教師の教育研究の展開について三つのことを示唆している。第一に,1950年代後半に教師の教育研究が文学的視点を喪失していったことが示唆される。第二に,1950年代末ごろに,教師の教育研究の基盤としてのサークルから,教師や研究者以外の人々の参画可能性が縮減したことが示唆される。第三に,教師の教育研究において重視される「科学」の意味内容が1950年代と1960年代とで異なっていたことが示唆される。以上の展開の中で,土田においては,特異な事実の記述を通じて従来の認識を相対化していくような研究や,授業と「社会科学」という二つの焦点を有する「楕円的」研究の可能性が閉ざされていった。

  • ― 学級経営を軸とした教科指導と生活指導の統一 ―
    澤田 百花
    2024 年49 巻 p. 73-83
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2025/07/16
    ジャーナル フリー

    本研究の目的は,宮坂哲文(1918-1965)における「教育方法体系」の構想の特質とその意義を明らかにすることである。宮坂が指導的立場にあった教育実践において,感情の指導が基盤に据えられ,学級の共同経営が行われていたことに着目し,「教科指導と生活指導の統一」にたいして提起された「教育方法体系」の内実を解明した。

    実践記録の検討をとおして,宮坂の「教育方法体系」における三点の特質が明らかになった。第一に,指導の基盤に子どもの感情が据えられていた点である。第二に,教師らが学級を共同経営することによる各領域の結合である。第三に,教育の目的と方法が,子どもの姿によって問い直されることが見通されていた点である。

    宮坂の「教育方法体系」とは,感情の指導をとおして生活の実感を自由に表現できる「学級」をつくる一過程に,教科外活動や教科指導が位置づけられたものである。「学級」は教師らによって「共同経営」されることで,教師が子ども理解を深める場が生じ,子どもの姿にもとづく授業づくりが行われていた。おわりに,「学級の共同経営」は,教師集団づくりとっての意義も有していることに論及し,今後さらに「教科指導と生活指導の統一」の内実を深めていくために,「教育方法体系」を授業研究や,学習に取り組む集団づくりの視点で検討していく必要性を提起した。

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