2023 年 48 巻 p. 49-60
本稿は,デイナ・ザイドラーによるSocioscientific Issues(SSI)の提案を検討するものである。近年,科学と社会が関わる諸問題に対する意思決定ができる市民の育成を目的とした科学的リテラシー論が展開されている。この潮流の代表であるSTS 教育の後続として,近年SSI が衆目を集めている。SSI は,科学が関わる社会問題を科学教育に取り入れる提案と解されがちだが,SSI研究の第一人者であるザイドラーは,科学教育の目的とカリキュラムを変革し,STS教育を乗り越えることを企図していた。本稿では,ザイドラーのSSI 研究や氏が開発したSSI 駆動型カリキュラムを検討し,氏の科学教育思想を明らかにすることを通して,科学教育研究の文脈におけるSSI の意義を論じることを目的とした。ザイドラーは,コールバーグの道徳的推論の発達段階を受容し,現実の倫理的ジレンマを含む問題(SSI)に対する対話型推論を通して生徒の推論能力を発達させることで,普遍的な原則である正義に従った道徳的判断が可能になると考えていた。ザイドラーは,生徒の道徳的推論の発達をも科学教育の目標に内包させる点で,科学の概念や方法を修得させるSTS アプローチを越えようとした。また,ザイドラーに対する批判で表出された論点は道徳教育領域の論点と近似しており,これは社会問題を取り入れた科学教育カリキュラム開発の前提として検討されるべき規範的論点と言える。ザイドラーのSSI の提案は,科学教育研究における議論の射程を拡張する契機であったと評価できる。