1986 年 35 巻 10 号 p. 1-11
「作者」という語が直接登場しているように、夏目漱石「虞美人草」では作家の<自我>が露出し、<虚構>はその支配を受けている。だが、先行する小栗風葉「青春」の男女密会の「大森」行きに象徴される恋愛の<引用>として、さらには「青春」や小杉天外「コブシ」の「兄妹」の<引用>として「虞美人草」は<虚構>の新たな活性化をはかっている。とくに宗近の妹よし子の<妹の力>としての<虚構>は必ずしも<自我>に従属していない。この作品の<自我>と<虚構>は見合っており、そこに「虞美人草」の独自の構造と魅力がある。