東京大学大学院
1988 年 37 巻 1 号 p. 79-88
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従来ルポルタージュ的な作品として評価されてきた小林多喜二の小説『東倶知安行』は、観察者としての「私」と行動者としての「私」という、二面性を持った語り手の、転換と相互浸透のバランスの上に成立した作品である。高く評価されている自然描写も、このような精密な語りの技法に裏付けられて、そのリアリティーを発揮している。この語り手のバランスが、次第に崩壊していくところに、この時代、この作者のかかえていた課題の大きさが示されている。
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