三重大学
1992 年 41 巻 8 号 p. 24-32
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一、文学教育は文学の研究ではなく教育なのだから、学習者である子どもの研究、虚構という窓口から見た子どもの発見に力を注ぐべきではないか。二、いかに自己を見つめるかということばかりではなく、何をこそ見つめなければならないのかという価値的なものの追求が必要ではないか。三、「開かれた教育」をめざすのなら、文学教育を専門としない教師にも、父母にも子どもにもわかる言葉で語るべきではないのか。
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