青山学院女子短期大学
1993 年 42 巻 11 号 p. 38-46
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明治三十年代初頭に蒔かれた写生文の種は『ホトトギス』と共に成長して、大正・昭和と、綴り方運動など、人が文を書く原初の欲動と密接に繋がりながら多様な結実を見た。明治三八年一月号の『ホトトギス』は漱石の「吾輩は猫である」と子規の「仰臥漫録」が掲載された号である。本稿ではこれを一つの分水嶺と考え、ここにいたる同誌の写生文実践の内実を、日記というジャンルが果たした役割を焦点化しつつ辿る。
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