文教大学短期大学部
1993 年 42 巻 9 号 p. 45-55
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梶井基次郎の作品は、その独自の美意識が高く評価され、時にはボードレールと比較されたりしてきた。しかし、その美意識には一貫した規範が存在するというよりは、飛躍した主観性を帯びている。本論では、「檸檬」を表現主義映画「カリガリ博士」と重ね合わせて読むことを手始めに、画家のカンディンスキーを中心とした梶井を取り巻く芸術的な背景や梶井自身の表現意識を点検して、二〇世紀芸術の大きな流れである「表現主義」の方法との類縁性を探ってみた。
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