洛星高校
1994 年 43 巻 5 号 p. 12-22
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本論は「坊っちやん」の語り手と<おれ>に着目し、語り手がどういう目的で「坊っちやん」を物語ったのか、また物語ることにはどのような問題が胚胎しているのかを考察したものである。私見によれば語り手の目的は、主体的自己認識の欠如した<おれ>が四国当地での体験を通して理想的な存在へと変容する過程を述べることにある。しかし語り手の意図に反して、<おれ>には理想的な人物として受容しかねる面も認められるのである。
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