名古屋大学大学院
1995 年 44 巻 9 号 p. 19-29
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『今昔』には、それ以前の仏教的言説には見られなかったコミュニケーションによって作られる合理性からの発想が随所に見られる。コミュニケーション的な合理化の果たす機能は、既に制度化されている「公共世界」の内容を批判していく新たな可能性をもたらすということである。『今昔』では、それは様々な形で現れるが、本論では「走ル」という行為の解釈をめぐって、その一端を明らかにする。その際、そうした言説を「経験世界」の言説と呼ぶことにする。
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