愛知教育大学
1996 年 45 巻 6 号 p. 1-10
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『西鶴諸国ばなし』は、安易な「題材主義」の所産という否定的評価を下されかねない一面を有している。しかし、因果譚を原拠とする二章には、その展開の必然性を断ち切ってあえて破綻を生じさせ、そのことによって新たな認識を示そうとする、独自の方法が見出せる。この作品には、原拠中心の従来の研究では見落とされていた細部に注目し、設けられた破綻の意味するものをどう理解していくかというアプローチが必要なのである。
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