藤女子短期大学
1997 年 46 巻 11 号 p. 1-9
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北村透谷の名高い評論「厭世詩家と女性」の持つ、奇妙な論理的"貧しさ"に着目することを手始めに、その意義を探る作業を通じて、彼がそこで真に問題にしていたのは<恋愛>でも<詩人>でもなく、近代的<欲望>と<法>の問題であったことを論証する。そして、国家や民権派勢力がこぞって国境の維持・拡張と内的整備に血道を上げていた時に、己れの内なる"貧しさ"に固執することによってそうした動きに抵抗していた透谷の姿を明らかにしたい。
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