1998 年 47 巻 10 号 p. 18-27
『日本永代蔵』には笑話的要素があると言われている。だが、その意味については、これまで充分に論議されてこなかった。そんな中、矢野公和氏は近稿で『日本永代蔵』の<笑い>について言及し、それが「金銭の価値に対するジレンマ」という仮説をを提示した。はたして、そうか。本稿では共通の素材を持つ『百物語』(下一九)『西鶴諸国はなし』(巻五の七)『日本永代蔵』(巻三の一)を比較し、西鶴浮世草子にアプリオリに存在していた烏滸的要素が瀕死の状態になっていくことを証明し、矢野氏への反論としたい。