共立女子短期大学
2006 年 55 巻 1 号 p. 31-40
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明治期には多数の『ロビンソン・クルーソー』の翻訳がなされた。それらは、どれも過不足なくコードとコンタクトを理解したうえで正確に翻訳されたものはない。しかし、いずれの翻訳も明治の読書空間のなかでそれぞれのメッセージを伝えており、何らかの対話を始める契機となっている。本稿では、翻訳/加工をパフォーマティブな社会的行為と捉え直し、そこでいかなるコミュニケーションがなされているかを考えてみた。
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