2013 年 62 巻 10 号 p. 42-52
明治期の上方歌舞伎は従来、同時期の東京の歌舞伎に比べて革新性に乏しいものであるとされ、顧みられることが少なかった。しかしながら、詳細に検討していくと、そこではいくつもの興味深い変化が生じているのである。
本論考では、特に明治十年代末までの大阪における変革の諸例を取り上げ、その多くが「東京風」を志向したものであることを示す。さらに、この時期の劇界の変化は、東京が京阪に一方的に影響を与えるというものではなく、相互に影響関係を持つものであることを明らかにし、明治期上方歌舞伎の演劇史的位置付けの再考を促す。