2017 年 66 巻 1 号 p. 68-80
本稿は、「骰子の七の目」というテクストが、語り手である「私」たちが開く戦略会議で議論される「二者択一」が、実はさまざまな要素を比較して一つを選ぶことに重点を置くのではなく、ブラック・ボックスのような「良識」に合わせて一つを選んでいるという点において〈おかしい〉こと、「正義」に見える「若い女」だが、「私」たちを批判する論理も「二者択一」でしかなく、「女」が示す自由が国家権力を背景にした〈与えられたもの〉でしかないことが、「私」の〈語り〉をとおして見えてくるような、〈騙り〉の審級が発動する〈カタリ〉のテクストであることを論じた。このように語る主体である「私」の語りを読むことで、「若い女」の論理や行為に偏向があることを〈騙る〉テクストであることが見えてくる。「私」を批判し、「女」をも批判することができる〈カタリ〉のテクストなのである。「若い女」の論理を称揚することの危険さに気づくことができる〈語り/騙り〉のシステムが「骰子の七の目」にはあり、それを教室で気づくことが思考の柔軟性を育てる=創造的テクストとして機能するのである。