『源氏物語』や『平家物語』の語り(narrative)について、風景や装束が記述的・事実確認的ではなく行為遂行的(performative)に語られること、それに関連して、語り手と読者および作中人物の共主観的(相互主観的)なあり方について述べた。また、そのような物語の語りが、近世の出版メディアのなかで変容することを、近松門左衛門の作者署名の問題や、洒落本・人情本の自己言及的な語りの問題として論じ、末尾で、江戸後期の戯作の語りが、明治期の尾崎紅葉や泉鏡花の語りに接続することを述べた。
『記』の「語り」は『記』自身が音声言語として読むべく指示し、それ自体「かたり」でもある歌を抱えている。書かれてあるからこそ、『記』の「語り」は神話的叙事(歌)と説話文が語る出来事との、異質な声の重なりのなかにあることが見てとれるだろう。歌の叙事は時に王権神話の論理と相反する場合もあり、『記』の「語り」の声の重層(重奏)が不協和音を奏でることもあることにも注目したい。
『狭衣物語』の「語り」は、ある一つの方向性を持っている。しかし、その「語り」には間々ちぐはぐなところが見られ、みずからの「語り」の方向性に水を差してもいる。まずは、そうした「語り」のありようを明確にした。また、ちぐはぐな「語り」だからこそ、「語る主体」や、それを構造化するイデオロギーを綻ばせ、「イデオロギー表象」としての「物語」を機能失調に陥らせもするのであり、それは、この物語の「語り」の特質であり、意義でもある点を論じた。
近代の文章改革の一つ、写生文をリードしたのは、近代俳句の王者でもある高浜虚子だ。モデルとしては、やはり俳諧師だった井原西鶴の小説があった。そこで、西鶴小説の「語り」と俳諧/俳句との関係について、『武家義理物語』をサンプルに検討した。客観から主観への語りを行う点は同じでも、抒情的な上田秋成にくらべ、西鶴ははるかに省略が効き、切れがあり、連想を効かせたドライなそれであることが明らかとなった。
物語では直接性が間接的に構築される「置換された直接性」が基本であり、両義的な自由間接話法は物語の常態である。反復と逸脱の両義性を持つ村上春樹「バースデイ・ガール」においてはエコー発話が重要な技法となる。エコーは同意/アイロニーの両義性を持つからである。エコーに注目することで、二十歳の彼女と老人との対話だけでなく、「僕」と彼女との会話にも両義性が見られるが、現れ方の違いが二人に不和をもたらしている。
現在の検定教科書において、生徒たちが「語り手」という学習用語と初めて出会うのは、中学一年の「少年の日の思い出」においてである。これは、日本近代文学研究において、この二、三十年の間に学術用語としての「語り手」が定着してきたことを踏まえたものである。しかし「書かれたもの」に対して「語り手」という学習用語を適用することは、国語科の教育にとって最適なものではない。だとすれば、「語り手」という学術用語についても、再考の余地がある。
本稿は、「骰子の七の目」というテクストが、語り手である「私」たちが開く戦略会議で議論される「二者択一」が、実はさまざまな要素を比較して一つを選ぶことに重点を置くのではなく、ブラック・ボックスのような「良識」に合わせて一つを選んでいるという点において〈おかしい〉こと、「正義」に見える「若い女」だが、「私」たちを批判する論理も「二者択一」でしかなく、「女」が示す自由が国家権力を背景にした〈与えられたもの〉でしかないことが、「私」の〈語り〉をとおして見えてくるような、〈騙り〉の審級が発動する〈カタリ〉のテクストであることを論じた。このように語る主体である「私」の語りを読むことで、「若い女」の論理や行為に偏向があることを〈騙る〉テクストであることが見えてくる。「私」を批判し、「女」をも批判することができる〈カタリ〉のテクストなのである。「若い女」の論理を称揚することの危険さに気づくことができる〈語り/騙り〉のシステムが「骰子の七の目」にはあり、それを教室で気づくことが思考の柔軟性を育てる=創造的テクストとして機能するのである。
文学は言葉で作られた世界ではあるが、しかし、そこには、言葉だけでは摑み取ることのできないものもまた存在する。文学は、目に見えない向こう側の世界をも描いているからである。それは、五感を鋭くして感じとることしかできない。その、「感じる」読みの一つの手段として、「挿し絵を読む」ことを提唱したい。優れた挿し絵は、「言葉の向こう側にある世界」に読み手を導いてくれるからである。