日本女子大学
2017 年 66 巻 11 号 p. 23-33
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堀田清美「島」は、作劇に欠点を持ちながらも、〈社会的政治的な偏向を避けた〉戯曲として評価された。その一方で、『広島原爆医療史』に基づいた「記録」を尊重した、大橋喜一「ゼロの記録」の評価は、政治性を忌避しようとする劇評家や観客からは疎まれ、「島」とは対照的なものとなる。本稿では、原爆をリアリズムで捉えようとした「島」と「ゼロの記録」の受容を検討し、原爆戯曲をめぐるエクリチュールには、どのような抑制が働いていたのかを明らかにする。
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