平安時代の古辞書『新撰字鏡』所引の『切韻』を扱った専論としては, 上田[1981] が実質唯一のものであり, その成果は上田[1984]に反映されている。ただし, それぞれ問題点も少なくない。『新撰字鏡』の依拠『切韻』については, 上田[1981]が長孫訥言『切韻』の系統としているが, 貞苅[1989]では下平声部分のみ異なることを述べている。本稿ではまず, 貞苅[1989]のいうごとく下平声部分のみ異質であることを例示し, その特徴が「唐韻」系のものであることを指摘する。続いて, 上田[1981]が長孫訥言『切韻』の増訂本として挙げた例証に問題が多いことを述べる。また, 上田[1981, 1984]では『切韻』反切の誤った採録例を挙げているが, そうした特殊な引用がほかにも多数見られることを, 実例を挙げて示す。