倭玉篇の研究に於いて、従来は部の排列等の構成的側面が重視され、実質内容である和訓は等閑視されてきた。しかし、個々の和訓がどのような先行資料に淵源するかを調査することによってこそ、倭玉篇の諸本の系統的理解、また成立の過程をうかがうことができる。本稿はこのような視点から、代表的な倭玉篇5本(弘治二年本、玉篇要略集、玉篇略、拾篇目集、米沢文庫本)の和訓を調査し、その上で、弘治二年本の和訓が、他の諸本と異なり、文選の古訓と色葉字類抄から、多大な影響を受けたことを明らかにした。特に文選の古訓の影響については、個々の事例を精査して、それが確実に文選の古訓に拠るものであり、他に由来する可能性が無いことを証明した。