2020 年 102 巻 p. 55-70
六〇年代後半から寺山修司は月刊受験雑誌『高3コース』『高1コース』の文芸欄の選者を務める。文芸欄での活動は、寺山の創作源の一つでもあった。実際、文芸欄での経験をもとに詩論『戦後詩』(一九六五)が書かれ、文芸欄の投稿者たちによって天井桟敷公演『書を捨てよ町へ出よう』(一九六八)が生まれていく。本稿では、寺山の詩論=制作論を参考に、投稿者の作品空間において何が起こっているのかを内在的に分析する。投稿者たちが文芸欄で「書くこと」によって、自らの環境を相対化し実際に移動しながら、固有の領域を制作していたことを明らかにする。そして、そのような文芸欄の制作空間が、同時代の「町」とも地続きであることを示した。