安岡章太郎『陰気な愉しみ』の「私」は、軍隊で〈男〉としての「欠陥」を自覚し、「劣等感」を抱く人物である。「私」は、「欠陥」・「劣等感」から目を背けたり、〈男らしさ〉を構築しようとしたりする。だが本作は、そうした「私」の行動が次々と失敗してゆくさまを描きとる。あるいは、〈男らしさ〉構築の末にむしろ落胆する「私」の姿を呈示する。そうした展開を重視することで、〈男らしさ〉の価値を相対化する作品として本作を解釈できる。同時代では、敗戦─占領による男性の敗北感や屈辱を〈去勢〉などのメタファーであらわすレトリックが流通していた。本作は、それに近接しつつもきわどく距離を取り、批判的な位置についているのである。